神曲法廷

平成×年、かつて神宮球場のあった場所に神宮ドームが完成した。諸設備は、ほぼ東京ドームと同じであるが、東京ドームが楕円形であるのに対し、神宮ドームはやや変形した螺旋状になっていた。
その神宮ドームを設計したのは、建築界で異端児と呼ばれている建築家藤堂俊作。藤堂の才能は天才とも評価され、数々の建物を設計してきた。
その神宮ドームで悲劇が起きた。初年度のペナントレースが終わった10月10日、神宮ドームで区民体育祭が開催されることになっていて、それに先立つ7日の日に体育祭のリハーサルが行われた。
そのリハーサルの最中に、2階の外野席付近から出火し、体育祭のために持ち込まれていた大量のマット類に引火、有毒ガスが発生して8名の死者を出してしまった。
出火原因は時限発火装置による放火で、当局は無差別殺人を視野にいれ、被疑者不特定ながら殺人罪で立件できないか検討に入った。
一方、事件での犠牲者8名のうち7名が高校生であったことから世論は沸騰し、神宮ドーム側の管理責任も問われることになり、翌年4月東京地検は防火管理責任者綿抜周造を業務上過失致死傷罪で起訴した。

東京地検の検事佐伯神一郎は、若くして刑事部から特捜部への栄転も決まって内示まで受けていたが、精神的な病により半ば強制的に休職となり、内示は取り消されたうえS地検への移動が決まっていた。
本来なら検事として残ることすら難しいのだが、尊敬する先輩検事東郷一誠の奔走で休職扱いとされた。東郷は硬直化した司法界で、唯一佐伯が尊敬する人物であった。
休職中の佐伯は、ある日東郷に呼び出された。東郷は公判部に所属し、神宮ドーム放火事件の担当検事であった。東郷の話によれば綿抜は訴因の一切を認めず、全面的に争う姿勢であった。
一方、放火事件の発生直後から神宮ドームの設計者藤堂俊作が行方不明になっているという。公判でぜひ藤堂の証言が欲しい東郷は、佐伯に東郷を探し出してくれるように依頼した。
藤堂は佐伯と同様にダンテの神曲に心酔しており、佐伯なら藤堂の行方に推測がつくのでは、と考えたようだ。ほかならぬ東郷の頼みにいやともいえずに引き受けたが、半ば途方にくれる佐伯。

しかし、その直後に佐伯も東郷もとんでもない事件に巻き込まれた。綿抜の公判の日に、地裁の公衆控室で殺人事件が起きた。殺されたのは綿抜の弁護士鹿内だった。
鹿内は傍聴人たちとともに控室にいたのだが、公判の時刻になって傍聴人たちとともに立ち上がり、そのまま崩れるように倒れて死去したのだ。心臓を鋭利なもので刺されたことが原因だった。
だが、不思議なのは誰も凶器を持てなかったことだ。裁判の傍聴人は公衆控室に入る前に金属探知機でボディチェックを受け、メモ帳以外の持ち物は全て預け、さらに控室では警備員に厳重に監視される。
鹿内弁護士は一種の密室状態で殺されたのだ。しかも、その事件からまだ間もないうちに、今度は公判を担当する大月判事が殺された。
鹿内弁護士殺人事件で公判は延期され、同時に公判取材のための報道陣は殺人事件の取材陣に切り替わり、さらにセンセーショナルな事件なだけに取材陣の数が増えて大月判事は裁判官室に缶詰の状態だった。
その大月判事がなぜか裁判官室から532号法廷の被告席に移って、法服を着て殺されていたのだ。裁判官室の周囲にはマスコミや裁判所職員など多くの目があり、判事が誰の目にも触れずに裁判官室を脱出するのは絶対といっていいほど不可能であった。
が、誰も大月判事が裁判官室を出たのを見たものはいなかったのだった。弁護士と判事が1日のうちに殺されるという異様な事態に、公判は無期延期され大混乱になった。
そのうちに、佐伯はこの地裁連続殺人の裏には行方不明の藤堂俊作が絡んでいるのではという思いを、神の意志のごとく強く感じるようになっていった…
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