花面祭

華道界で今や池坊や草月流に比すほどの存在になった塘松流だが、その過去に大きな秘密を負っていた。昭和22年塘松流三世家元芦田挿花が、自宅にあった茶室で死んだのだった。
その死は警察の捜査で自殺とされたが、世間を憚って病死として発表された。挿花は当時の華道会では天才とされ、将来を嘱望された逸材だった。塘松流も挿花のもとで大いなる発展を期待されていた。
挿花の死で塘松流家元は挿花の母芦田暁女が継いで、80歳を過ぎた昭和63年の今でも矍鑠として塘松流総帥として君臨している。暁女の後継者は孫の藍草。
そのほかに塘松流には四天王と呼ばれる4人の娘がいた。四天王はそれぞれ得意とする季節を持ち、冬は菅原頼子、春は若槻佐和子、夏は小室柚子、秋は池田鮎子と言われ、それぞれがそれぞれの季節に本部ビル内にある忘庵と名付けられた茶室に花を生けることになっていた。
この忘庵こそかつて挿花が死んだ茶室であり、それがビルになってもそのまま移築されて当時のまま残されているのだった。

そして今、挿花の日記が見つかった。和綴じのもので書き始めは昭和20年3月8日、東京大空襲の前日であり、挿花の死をもって終っていた。
その日記には、東京大空襲のとき挿花は弟子の4人の娘とともに自宅内にある花倉に避難し鍵をかけたものの、挿花の自宅は爆弾の直撃を受け、花倉にも猛火が迫った。
安藤という書生兼下働きに挿花が助け出されたときには、鍵をかけた花倉の中にいるはずの4人の娘はどこかに消えてしまっていた。4人の娘は挿花とともに塘松流に伝わる秘儀「しきの花」を完成させた直後のことだった。挿花はこの時以来「しきの花」に憑かれたようになり、昭和22年に死んでしまったのだ。
さて、挿花の日記を読んだ藍草は、その日記から自分は挿花の生まれ変わりだと信じ、藍草自身も「しきの花」に憑かれてしまった。
それを知った暁女は塘松流の将来を心配して四天王を呼び、「しきの花」の謎を探るように命じた。そして、その謎を探り当てた者には塘松流幹部の座を約束したのだった…

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