翡翠の城

明治初期のころからの名門である日光のオクラ・ホテルは、巨椋幹助が創業し、現在の経営陣も巨椋一族で固められている。その総帥は、今年95歳になる巨椋真理亜。
幹助は明治初頭、横浜で大工をしており、市中で助けたイタリア人一家の娘カテリーナと結ばれ、2人の間にできた娘が真理亜であった。
さすがに真理亜は一線からは引退し、県境を越えて群馬県に入った丸沼の奥にある碧沼の畔の別邸、碧水閣に住んでいた。碧水閣も明治時代に幹助によって建てられた建物だった。
その碧水閣の取り壊しとホテルの次期社長の座を巡って一族の間に内紛が起きた。巨椋一族は血縁間で婚姻が行われており、その系図はきわめて複雑であったが、大きな流れとしては真理亜の直系の系統と、幹助と妾の英佐絵の間に生まれた子供から出た埴原姓を名乗る系統があった。
現在ホテルの実権を握るのは埴原久仁彦専務、会長は久仁彦の弟で真理亜の娘百合亜と結婚した雅彦、社長は雅彦の息子の月彦だった。
久仁彦には息子の秋継がおり、秋継は現在常務取締役であった。久仁彦とすれば息子の秋継を社長にしたかったが、真理亜の意中は月彦の妹の星弥であった。

さて、この複雑な一族の内紛に建築探偵桜井京介が巻き込まれることになったのは、京介の師神代教授のもとに来た一通の手紙だった。
その手紙は教授の古い知り合い杉原静音からにものであった。巨椋一族は杉原家には恩があり、今回碧水閣の取り壊しの話を聞いた静音が、碧水閣の取り壊しを阻止しようとし、建物がいかに貴重かを調査するよう巨椋真理亜に勧め、その調査を神代教授に依頼してきたのだった。
碧水閣は帝冠様式という、西洋建築に瓦屋根を乗せた昭和初期によく建てられた形式であったが、その屋根が宇治の平等院に似ていた。
その設計をしたのは悲劇の建築家といわれる下田菊太郎で、下田が碧水閣を設計したのなら、昭和になるはるか前に、帝冠様式の建物が建てられたことになる。
これが立証されれば、大きな発見であった。神代教授は京介始め研究室のメンバー栗山深春とアシスタントの蒼とともに、日光に赴いた。だが、そこでは一族の内紛に端を発し殺人事件まで起きてしまった。

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