暗闇坂の人喰いの木

横浜、暗闇坂は江戸時代には刑場のあったところ。文明開化の頃には横浜が開港場に指定され、外国人が晒し首の様子を見て驚いた場所でもあった。
明治に入り刑場が廃されてガラス工場ができたものの、空襲でガラス工場が焼けて廃業、戦後は英国人の大金持ちジェームズ・ペイン氏によってペイン校という外人専用のミッションスクールとなった。
ペイン氏は人格者であり、毎日を決まった時間通りに過ごす律儀な性格であったが、反面で気まぐれなところもあって、突然英国に帰国してしまいペイン校は閉校した。
ペイン氏は日本で藤並八千代という芸者と結婚し、卓、譲、レオナの3人の子供をもうけたが、八千代も子供たちも置いて帰国した。
幸いにかなりの財産と土地は残されたので、八千代はガラス工場時代から残され、改造して本宅にしていた西洋館だけを残し、残りの土地はマンションと風呂屋と駐車場にした。ところが風呂屋はその後に廃業して、現在は廃墟となっている。
そしてこの藤並家の敷地には樹齢二千年といわれる大楠があった。楠は暗闇坂の上にも枝を伸ばし、昼間でも日をさえぎって名前の通り暗闇坂を暗闇にしていた。
そんな楠だから昔から人間に怖がられ、子供たちは近づくことすら親から禁止されていた。昭和16年にはその木に女の子の死体がぶら下がり、終戦直後にはその木の上った浮浪者の子供が木に食べられるという不気味な話も伝えられている。

時は下って1984年、横浜を台風が襲った翌日の朝、暗闇坂にある藤並家の西洋館の屋根に藤並卓が跨って死んでいるのが見つかった。
屋根に登って跨って星でも見ているような格好であった。いったい卓の死は自殺なのか他殺なのか、どちらにしても台風のさ中に屋根に跨って死んだのはなぜなのか…
さらに八千代が何者かに襲われたらしく、敷地の中で大怪我をして意識不明で倒れていた。命は取り留めたが、重態であった。
こんな不思議な事件に御手洗潔が反応しないはずはなく、さっそく藤並家にもぐりこんで卓の死の調査を始めた。その過程で不気味な楠の話を聞く事になったが、聞けば聞くほど楠が犯人のように思えてくる。
事実その後に楠の中から白骨化した4体の死体が見つかった。いずれも昭和30年代初期に白骨化したもので、少女のものだった。楠は伝説の通り人を喰っていたとしか思えなかった。
そして今度は譲が楠の中に頭を突っ込んで死んだ。まさに楠は譲を食い殺したかのようであった…


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