伯林水晶の謎

隠れた名探偵と評判の霞田志郎と千鶴兄妹が、夜桜を見物しながら歩いていると、一人の老人に出会った。その老人は志郎の恩師で、引退した大学教授レーガー・ヘルムバウムで、腰を痛めて歩けなくなっていたらしい。
助けようとする志郎たちに最初は意地を張っていたヘルムバウムだったが、痛みに耐えかねて2人に助けてもらって歩き出した。聞けばヘルムバウムは近くに住む義理の兄の宮谷巌のところを訪ねる途中だったらしい。
宮谷は水晶振動子では世界的に有名な会社トマス工業の前社長だった。トマス工業をここまで有名にしたのは、すべて宮谷の力だったといっていい。その宮谷の妹がヘルムバウムの妻だったのだ。
宮谷の家に着くと、ちょうど中からお手伝いの女性が転がり出てきたところに出くわした。不穏な空気に志郎が家の中に入ってみると、離れの座敷で宮谷巌がナイフを刺されて殺されていた。
窓ガラスが割られ、そのガラスの破片が宮谷の死体の上やその周囲に散っていて、それはあたかも水晶のような輝きを発して美しかった。
お手伝いの女性の証言で、宮谷がベルリンの水晶が入っていると言っていた守り袋がなくなっていることがわかったが、それ以外には何一つなくなっているものはなかった。

この水晶が事件のキーワードになった。宮谷殺人事件の捜査が始まり、志郎も行きがかり上捜査に加わったが、宮谷の周辺や過去を調べる必要を感じた。
そのためにトマス工業の社史と宮谷の伝記を読んだのだが、宮谷は絵に描いたような立志伝中の人物であった。戦前に一度と戦争中にドイツに留学し、そこで水晶振動子の技術を身につけ、戦後帰国して真空管を作っていた当時のトマス工業に入社し、そこで水晶振動子を手掛けて会社を大きくし社長におさまったのだった。
志郎は宮谷がドイツ留学をしていたことと、ベルリンの水晶を守り袋に入れて持っていたことから、水晶の夜と呼ばれる事件が、今度の宮谷殺人事件に関係があるのではと考えた。
水晶の夜とは1938年にパリのドイツ領事館で起きた、外交官をユダヤ人の少年が射殺した事件だった。この事件はユダヤ人迫害を強めていたナチ・ドイツを刺激し、ドイツ全土はユダヤ人排斥に燃え上がり、やがて強制収容所でのユダヤ人の組織的抹殺に繋がるとされた。
ところが社史はともかく伝記にも宮谷のドイツ時代のことは、ほとんど触れられておらず、志郎は宮谷とともにドイツに留学したという片桐敬三を訊ねることにした。片桐もまた電子工学の元教授であった。
志郎は千鶴の運転する車で片桐の家に向かったが、そこもまた不穏な空気に包まれていた。玄関に鍵が掛っていないのに、誰も出てこないのだ。
志郎が中に入ってみると片桐が首を吊って死んでいた。そばには遺書があり、宮谷のところからなくなっていたという、ベルリンの水晶が入った守り袋が置いてあった…
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