やさしい死神

落語専門誌「季刊落語」のベテラン編集長牧大路と唯一の部員間宮緑が寄席や落語がらみの事件を追う。

やさしい死神
次代の名人候補といわれる月の家花助の師匠で、75歳になる大名人月の家栄楽が、自宅の寝間で転倒して頭を打ち病院に担ぎ込まれた。栄楽はこの年になるまで独り身で、そのために弟子が日々交替で泊り、栄楽の世話をしていた。
その日は前座のへん平が当番で、前夜から泊り込んでいた。栄楽は前夜から風邪気味だった、朝方まで無理してへん平に稽古をつけていたために熱をだし、寄席を休んで自宅で寝ていた。
へん平の話によると風邪薬を飲んで寝間でおとなしく寝ていたが、起き上がろうとして転倒し、テーブルの隅で頭を打ったのだという。音に驚いたへん平が駆けつけてすぐに救急車を呼んだが、意識がほとんどなく「死神にやられた」とうわ言を言ったという。
栄楽の傷は幸い大したことはなく、意識も回復したが、年齢的なこともあってしばらく入院することになった。一方、それと入れ替わるように花助が憔悴し、ついに独演会の最終日をキャンセルしたいと言い出した。

無口な噺家
月島にある寄席如月亭では2日間にわたって松の家文吉を偲ぶ会が行われた。文吉は昭和初期から中期にかけて活躍した噺家で、松の家の名を不動のものとした大名人だった。
その文吉を偲んで1年前から準備が進められたが、文吉最後の弟子で、今の松の家の総帥文喬が、脳梗塞で倒れてしまった。文喬はその後リハビリに励み、1年後の偲ぶ会での復帰を誓った。
というのは、このところ松の家一門が文吉襲名を巡ってゴタゴタしていたからだ。人気があり実力もある若手真打の松の家葉太が文吉襲名に色気を見せ、後援会や席亭も暗に圧力をかけてきたのだ。
文喬は、葉太の文吉襲名には大反対だった。しかし本人が倒れてしまってはどうしようもない。そこで文喬は倒れた直後に、1年後の偲ぶ会で復帰できなければ引退をすると宣言したのだ。
それはとりもなおさず葉太に文吉を襲名させることを意味した。文吉の名を他の弟子に継がせたい文喬としては、絶対に復帰して見事な高座を勤める必要があったのだ。

幻の婚礼
3年前に真打に昇進した鈴の家梅太郎は、芸に厳しいと定評のある師匠梅治をうならせるほどの芸達者で、将来を嘱望された若手実力者だった。その梅太郎のもとに、ある日男女が訪ねてきた。
女は梅太郎が栃木県岩田町の小学校時代の同級生で遠藤友実子と名乗ったが、梅太郎に記憶はなかった。それは梅太郎が転校が多く、その小学校にも半年ほどしかいなかったためであった。
その友実子が梅太郎に披露宴の司会を頼みに来たのだ。一緒に来た男が花婿になるはずの江畑信二だった。気は進まなかったが、結局梅太郎は司会を引き受け、その後2回ほど2人にあって式の打ち合わせをした。
ところが当日、式場のホテルに行ってみると江畑家と遠藤家の式などまったく予定に入っていなかった。狐につままれたような梅太郎が2人に連絡を取ってみると、電話番号も住所も勤務先もすべてでたらめだった。
そこで招待客名簿のにあたってみたが、こちらもでたらめ。それでもあきらめずに名簿の連絡先にあたると、11番目にあった山本という女性は実在した。しかし山本は遠藤友実子は8年前に死んだはずだという。
今度は梅太郎が驚いた。死人が結婚式の司会を頼んできたのである。ショックを受けた梅太郎は間宮緑に相談したが…

へそを曲げた噺家
住宅街にある小じんまりした寄席の築地亭で、華駒亭番治独演会が催された。築地亭は立地の悪さから、このところ客の入りが不振で、先行きが危ぶまれているから、偏屈ながら人気者の番治の独演会はドル箱であった。
演目は富久、酒で得意をしくじった幇間の久蔵が、富籤に当たる噺だが、番治の真に迫る熱演の最中に客席中央で携帯電話が鳴った。着信音はすぐ止められたが、緊張の糸は切れ、気難し屋の番治は客席を睨みつけると高座を降りてしまった。
客席からは怒号が起き、携帯を鳴らした張本人の男性は顔を伏せて泣き出してしまった。間宮緑も取材していた番治独演会は、散々な結果に終わった。
翌日、校了に追われる季刊落語編集部を一人の男が訪れた。その男こそ昨夜築地亭で携帯を鳴らした張本人であり、出された名刺には番治後援会の会長の肩書きがあった。
野田というその男は、番治の後援会長であるだけに番治の性格をよく知っており、絶対に開演前に携帯の電源を切ったというのだ。その話を聞いた牧は緑に声を掛け、さっそく携帯事件の調査を始めた。

紙切り騒動
松の家京楽門下の有望若手真打松の家京太が、破門されるという事件が起きた。京太は季刊落語編集部にやってきて、破門された理由を牧と緑に語った。
京太は京楽師匠の家の大掃除を手伝った時に、洋服ダンスの片隅でほこりをかぶっていた額を見つけた。額には黒い台紙をバックに、ゆりかもめが三羽、水辺から飛び立とうとする切り絵が入っていた。
この絵は30年ほど前に関西を中心に活動していた、伝説の紙切り芸人光影の作品だった。京太はこの絵に惚れてしまい、ついに落語を捨てて光影への弟子入りを決意したのだ。それが京楽に破門された原因だった。
だが光影は30年ほど前に短期間活躍しただけで消息を絶ち、今どこにどうしているのか誰も知らない。そこで京太は光影を探してほしいと牧に頼みに来たのだ。
牧は乗り気ではなかったが、京太の話を聞いた緑が一肌脱いだ。休暇を取って光影が出演していた京都の鴨居亭を足掛かりに、光影を探すことにしたのだ。ただし期限は3日間、というのは京楽は3日後に協会へ京太の破門を届けることにしたからだった。


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