数奇にして模型

11月下旬の土曜日のこと、愛知県那古野市の国立M工業大学の大学院博士課程に在籍している寺林高司の身の上に、大きな災難が降りかかった。
寺林は茨城県にある某大手企業の中央研究所に勤務する、主任研究員であったが、この年の4月から社会人入学制度によって会社を辞めずに大学院に入学していた。
この日まで寺林は、那古野市内にアパートを借りて、10年ぶりの学生生活を楽しんでいたが、この夜を境に奈落の底に突き落とされるような体験をすることになった。
この夜寺林は、大学の実験室で同じ研究室の大学院生、上倉裕子と8時から実験の打ち合わせをする予定であった。その実験室は研究棟の3階の一室にあった。
8時15分、寺林との約束の時間が15分過ぎていたが、寺林はまだ現れなかった。それから少しして河嶋助教授が実験室を覗いたときには裕子は元気で、いつまでもたっても現れない寺林のことを気にしていた。
河嶋助教授が去ったあと、裕子は8時20分から35分まで実験室から電話をしている。電話の相手は友人の井上雅美で、このときも裕子に変った様子はなかった。
9時ごろ、いったん自宅に向った河嶋助教授が忘れ物を取りに戻り、電気がついている実験室を見て気になって、ドアのノブに手をかけた。
実験室のドアには鍵がかかっていた。河嶋助教授は持っていた鍵でドアを開け、中で死んでいる裕子を発見した。裕子の死はのちの検死で扼殺とわかり他殺と断定された。
打ち合わせをする予定であった寺林の行方はわからず、警察では寺林の発見に全力をあげた。

その寺林は8時20分前には、M工業大学から数百メートルのところにある那古野市公会堂の4階の控室にいた。寺林はこの日モデラーズスワップミートなるイベントに参加し、イベントが終わっても一人控室に残っていたのだ。
なぜかといえば、寺林は自分の模型作品の修復をしていたのだった。モデラーズスワップミートとは模型の交換会のことで、寺林はフィギュア好きでスタッフの一人でもあった。
自分の作品の一部が破損してしまい、こんな時間までスタッフの特権で修復をしていたのだ。実験の打ち合わせ時間が近くなり、寺林は作業を終え、部屋を出て鍵をかけようとしたが、その時に何者かに後頭部を強打され気を失った。
寺林が発見されたのは翌日曜日の朝のことだった。鍵がかかったままの控室が守衛のキーで開けられると、その中には首を切られた女の死体と気絶した寺林がいた。
寺林は救急車で運ばれたが、首なし死体と同じ室内で倒れていたことから状況は圧倒的に不利であり、M工業大学の上倉裕子殺人事件の容疑のほかにも、首なし死体事件の容疑者にもなってしまった。
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