壺中の天国

稲岡市は関東の内陸にあるベッドタウンで、海や山があるわけではなく観光とは無縁であった。かといって企業城下町に代表される工業都市でもなく、これといって特徴のない地方都市だった。
最近になって、関東電力による高圧鉄塔建設計画に反対する一部市民が住民運動を起し、文化センターで反対派の集会を開いたりしているが、それが大きなニュースとなるくらい平和で長閑な町だった。
その稲岡市民を震撼させる事件が起きたのは10月3日の土曜日のことだった。この日、女子高生の野末由香は友達の佐藤良子と待ち合わせて、稲岡駅前の占いの館に行った。
由香も良子も占いに凝っていて、この日は東京から有名な黒魔術師の額田アストローシャが出張占いをしに来ていた。由香と良子は2ヶ月前から予約をし、この日を楽しみにしていたのだ。
2人は15分ずつの占いを終えて大満足し、駅前のファストフード店に寄ったあと分かれた。そして悲劇が起きた。由香が家に帰る途中に何者かに背後から襲われて、殺されたのだ。
暫くして犯人の犯行声明が見つかった。稲岡駅の広報紙のスタンドに置かれていたのだが、「全能にして全知の存在から電波を受信している私を妨害しないでもらいたい」という類のことが、長々と綴られており内容も意味も不明だった。

被害者は由香だけに留まらなかった。由香の死の10日後、13日の火曜日に第二の事件が起きた。殺されたのは家事手伝いの甲斐靖世という女性だった。
靖世は家事手伝いとはなっていたが、大学受験の失敗から摂食障害となり、ほとんど家から出ずに過ごしていた。拒食と過食を繰り返し、外出するのは定期的に通うクリニックに行くときだけだった。
そのクリニックの帰りに靖世は公園で殺された。途中で買ったたい焼きやケーキなどを家まで我慢できずに公園でむさぼり食っている最中のことだった。しばらくして電波系の犯行声明が市内各所から見つかった。
さらに21日の水曜日には吉田孝子という投書マニアの中年女性が自宅近くの人通りのない道で殺された。孝子は歯医者に行き、そのついでに駅前で買物をし、バスを降り自宅に向う途中であった。
こんども犯人は電波系の犯行声明と出した。連続通り魔事件は稲岡市民を恐怖に陥れたのみならず、全国的にも大ニュースとなった。
しかし3人の被害者には何の共通点も見あたらず、同じ市内とはいえ住いは離れ、共通のサークルや団体にも入っておらず、過去も今も接点はなかった。
いったい犯人はどんな基準で被害者を選んだのだろうか、それとも何の基準もない無差別殺人なのか…

架空の都市稲岡市で起きる連続殺人を扱った、第1回本格ミステリ大賞受賞作。
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