金閣寺に密室

室町三代将軍足利義満は、長男の義持に四代将軍職を譲ったが依然として実権を握り、政庁の北山第(金閣寺)に幕府首脳陣を呼んでは政務を執っていた。
ある嵐の日、その日も将軍義持をはじめ義持の弟の義嗣、管領家細川頼長、同じく斯波義将、四職家山名時煕、同じく一色満範らが呼ばれていた。
義嗣と一色満範が金閣の最上階に入り襖越し声を掛けても中からは返事がない。やむを得ず満範が襖に手をかけたが中に棒でもかってあるらしく襖は動かなかった。
仕方なく襖を破り中に入ってみると、天井からぶら下がった義満の首吊り死体があった。
直ちに他の首脳が集められ鳩首協議をした結果、義満は急病により死去したと発表された。だが、義嗣は義満の死に疑問を抱く。義満が自殺する理由など一つもないのだった。
義満はまさしく絶頂期にあり、義嗣に近い将来帝位を継がせ、皇室を簒奪するつもりで着々と布石を打っていたし、私生活では家臣の子女に手当たり次第伽を命じていた。こんな義満が自殺するなど考えられないことだった。

五山の一つ建仁寺で修行をする一休は、このころ京でも有名であった。まだ15歳だが頓知が利き、聡明で経典もよく覚えており建仁寺の住職も一目置いていた。
義嗣は一休に義満の死の真相を探るように密かに依頼した。一方一休も義満に先立って死んだ山椒大夫の死に興味を持っていた。
山椒大夫は分限者であり有徳人であったが、人攫いを裏家業にしていた。その山椒大夫が雪の日に死体となって見つかったのだ。
山椒大夫の体には虎に食い殺された跡があり、死体の周囲の雪には虎の足跡が残っていたと言う。人々は山椒大夫は虎に食い殺されたと噂したが、日本にいないはずの虎にどうやって山椒大夫は食い殺されたのだろうか…
義満の死の真相を探ることを引き受けた一休であったが、やがて山椒大夫の死と義満の死が関係あるのではと考え始め…

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