フレンチ警視最初の事件
Silence for the Murderer 1949

警視に昇格したフレンチが最初に扱うのは富豪貴族の自殺事件。

ハーレー街の有名な外科医バーソロミュー・バートのところで受付兼秘書をしているダルシー・ヒースのもとへ、恋人のフランク・ロスコーが兵役を終えて戻って来た。
ロスコーは戦争の間の6年間、陸軍にいて主に北アフリカ戦線とイタリア戦線で戦い、復員してきた。だが、駅に出迎えたヒースは、ロスコーのどこか元気のないやつれた姿に驚いた。
ロスコーの元気のなさは、今後の生活の心配が原因であった。ロスコーは軍隊にいるときに同僚との賭けに負けて多額の負債を抱え、その支払いのために主計隊員の地位を利用して、計算票に手を加えて不正を働いたのだった。
除隊直前に同僚にそのことを気づかれたうえに、証拠の計算票を突きつけられて脅迫され、軍隊から支給された慰労金を全て失ったというのだ。そこでヒースは、ロスコーをバートの医院の助手に紹介した。
ロスコーは昔からなんでも器用にこなしたから、人出不足も手伝って助手には打ってつけと思われたのだ。バートは信頼するヒースの紹介ということもあってロスコーを即採用し、ロスコーも期待に応えて助手の仕事を忠実にこなした。その仕事ぶりは真面目で、ロスコーの器用さも手伝って能率も良く、バートも大喜びだった。

ロスコーにも精気が戻り、ヒースとの仲もむつまじく、2人は将来の結婚を夢見ていた。ところがそんなある日、2人を再び不幸が襲った。軍隊の元同僚で、かつてロスコーを脅迫した男が、また現れたのだ。
ロンドンの街角で偶然にロスコーと出会ったその男は、200ポンドで計算票をロスコーに売りつけて来た。最後の恐喝であった。思い悩んでいたロスコーは後先を考えずに、隙を見てバート医師の金庫から金を盗んでしまった。そしてその金で計算票を買い戻したというのだ。
ヒースはロスコーの告白を聞いて仰天した。もともとロスコーは金銭にだらしなかった。どちらかといえば軽薄で、常に調子が良く、困ったときは人に助けてもらうのが当然と考える人物だった。
盗癖もあって、それも盗まれた側があまり問題にしないような金額を何回かにわたって盗むという、ある意味でズルい盗みをするのだ。
戦争に行く前にも、多くの職場でロスコーは盗みを働いたが、決して証拠は残さず、雇い主の方も怪しいとは思っても訴えることはできなかった。そんなロスコーの悪い癖がまた出たのだ。
ロスコーの理屈では、今回の件も一時的に拝借しただけというのだ。いずれ金ができたら返すからそれまでの間、バートをごまかせれば問題はないと楽観的に考えていた。
しかもロスコーは秘書であり、金銭面の全てを預かるヒースにその後始末を頼んできた。最終的にヒースはその後始末を引き受け、当座の危機は回避した。

しかし決算になれば全てはあからさまになってしまう。そこでロスコーは患者に治療費を水増し請求する方法で患者から金銭をだまし取り、それをバートから横領した200ポンドの穴埋めに使うことを提案した。
ヒースも最初は反対したが、最後は渋々ながら協力することにし、2人の詐欺行為が始まった。始めてみるとロスコーの計画は完璧に近く、たちまち2人のもとには多くの金が入ってきた。
こうなると金に目がくらんで、不正と分かっていても2人ともやめられなくなってしまった。泥沼にはまってしまったのだった。そうなるとロスコーの野心がうずき出した。ロスコーは今の仕事に満足せず、もっと稼げる仕事をしたいと言い出した。
半年ほどしたころ、隠棲した病弱な貴族サー・ローランド・チャタトンが新聞に秘書の求人広告を出した。新しい仕事を求めていたロスコーはヒースと相談してチャタトンの秘書に応募し、そして採用された。郊外のジャスミン荘という屋敷に住込みで、主にチャタトンの自伝のために仕事をするのだ。
そのジャスミン荘には、チャタトンの娘で年頃のジュリエットがいた。ロスコーとジュリエットが恋に落ちるのに時間はかからなかった。それに反比例してロスコーのヒースに対する扱いは冷たくなった。

ジャスミン荘に勤め始めた最初のうち、ロスコーは週に一回の休みの日にはロンドンに戻り、ヒースと一緒に過ごしていたのが、何かと用を言いたててロンドンに戻らなくなり、手紙も事務連絡のようなものになっていった。
ヒースも馬鹿ではなかった。ロスコーから聞いていたジュリエットの存在を思い出したのだ。そして仕事を休んでジャスミン荘に様子を見に行った。物陰に隠れて見ていると、ロスコーとジュリエットが楽しそうに会話し、ボートに乗って遊び、さらに人目を忍んで抱き合っているのを目にした。
ヒースは嫉妬に狂った。ロスコーを許せなかった。だが、気づいてみると自分の立場は最悪だった。バートからの横領行為は全てヒースに押し付けられていたのだ。ロスコーを破滅させる前に、自分が破滅してしまう。どうすればロスコーに復讐できるのだろうか、ヒースはそればかりを考えた。
そんなとき事件が起きた。植え込みに囲まれた庭の日だまりで休んでいたチャタトンが、拳銃で自殺したのだ。発砲音がしたときに周囲には人がおらず、植え込みの外には介護人のブーンとロスコーがいただけだった。
しかも2人の姿は屋敷の中から目撃されていた。つまり銃声がしたときにはチャタトンの周囲には人がいなかったのだ。この状況からチャタトンは自殺したと判断された。
しかもチャタトンのところには、過去の不正を暴く匿名の手紙がその日に配達されていた。チャタトンはこの手紙を読み、自ら死を選んだとされた。検死審問の評決も自殺であった。だが、ヒースはそうは思わなかった。ロスコーがジュリエットと結婚し、チャタトンの財産を奪う目的で殺したに違いないと思ったのだ。
クロフツの第6長編「フレンチ警部最大の事件」で登場したフレンチ警部は、その後のクロフツ作品のシリーズ探偵となった。フレンチは「サウサンプトンの殺人」で主席警部となり、さらにこの事件では警視に出世した。
凡人探偵、足の探偵といわれるフレンチは出世欲が旺盛で、初期の作品では一日も早い主席警部への出世を望んでいたが、中期以降は逆に出世を望まなくなった。偉くなりすぎるとデスクワークが多く、地道な捜査ができないというのだ。そのフレンチが功績を評価されて、本人の望みはどうかわからないが警視になって最初に扱うのがこの事件だ。
だがフレンチは前任者から引き継いだファイルの整理に追われ、また立場上自ら積極的な行動をとるわけにもいかず、内心は不満タラタラのようだ。もっとも本作品の原題はSilence for the Murdererというもので、「フレンチ警視最初の事件」は我が国でつけられたものだ。

後期のクロフツ作品は、一作ごとに手を変え品を変えてきているが、その中心には人間ドラマを据えている。中期では企業を巡る犯罪や組織の中での事件を扱った作品が多かったが、家庭や地方の小さな村、あるいはアンダーグラウンドな組織など舞台は小さくなり、その分ドラマが主軸に据えられている。しかしそのドラマは純粋な愛憎ではなく、捩れた愛憎や転落の人生など、どちらかといえば暗く地味な世界が多い。
本作品でも導入部は自分勝手な男が人の金に手を付け、恋人を巻き込んでいくという、社会性の欠如に書けた男女の物語が描かれている。これが第1章から第3章まで、全体の四分の一近くを占める。
続いて男が新たな就職先を見つけ、そこで新たな恋に落ちるという流れとなり、そして死亡事件が起きる。ただしこの時点では自殺か他殺かは分からず、検死審問でも自殺とされる。ここまでで全体の半分以上が費やされている。
さらにフレンチ警視の登場まではページが費やされ、フレンチ登場は第13章とかなり遅い。つまりこの話はフレンチの物語というよりは、男女の物語というべきであり、まさにドラマの中のミステリといえる。
そのミステリも前半の人の金に手を付ける詐欺的な話は倒叙で描かれているから、後半だけが純粋なミステリで、ボリュームからいっても物語性からいっても、濃厚な物ではない。そしてやたら慌ただしい解決からは、クロフツらしさ、フレンチらしさは失われてしまっている。愚作とまではいかないが、クロフツに期待して読み始めると、物足りなさを覚えてしまう作品だろう。

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事件の筋は単純だ。自殺と判断された貴族の死は他殺であり、これはミステリを多少とも読み慣れていれば当然の流れと推測できる。読者は推測しているのに、物語の作中では疑惑としかできず、その後まどろっこしい展開が続いてしまう。これは丁寧さなどというものではなく、プロット的な必然だから我慢を強いられることになる。このあたりも本作品の大きな欠点だろう。
やっと他殺ときまると、この時点で犯人候補は2人しかいない。これも筋からいって容易に想像がつく。だからフーダニットと見た場合は失敗作ということになるが、本作品の眼目はそんなところではない。
驚くなかれクロフツが仕掛けたのは不可能犯罪だった。被害者が自殺とされた理由の一つは、銃声がしたとき誰も被害者の側にいることはできなかったからだ、これはまさに密室ではないか。ところがこの解がまたクロフツらしく、実際の殺人にはサイレンサー(それもお手製だ)を使用し、その後に時限小爆弾をしかけて銃声を偽装するという、トリックの分類的にいえば、実際の殺人より後に見せかけるトリックが使われている。
とても長篇を支えられるようなトリックではない。が、そこはドラマの中のミステリだからよしとするのだろうし、反面で繰り返しになるがクロフツらしを失わせているのである。

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