黄金の灰
Golden Ashes 1940

思いがけず遺産を相続し、荘園領主となった男は…

実務に疎く、田舎紳士の生き残りのような父親が死んだとき、23歳のベチー・スタントンは途方に暮れてしまった。先祖が残してくれた財産を、父親は愚にもつかぬ投機につぎ込み、ほとんど文なしの状態だった。
ベチーには双子の弟ロランドと3歳年下の妹ジョアンがあったが、皆それぞれの道を歩んだ。ベチーはジョン・スタントンと結婚し幸福な生活を送ったが、8年後ジョンが死去して未亡人となったベチーは、たちまち金に困ってしまった。
職探しをするが、手に職のないベチーを雇ってくれるところは皆無で、ベチーは途方に暮れてしまった。捨てる神あれば拾う神ありで、そんな状況の時に、ニューヨークから英国に向けて航行中の客船ナイカリアン号に乗船している妹ジョアンから電報が届いた。
ジョアンはナイカリアン号の子供世話係をしていたが、船中で知り合ったジェフリー・ブラーが家政婦兼秘書を求めているというのだ。ブラーはシカゴに住んでいたが、英国に住む荘園領主の従兄が死亡して、その家屋敷を相続することになったのだった。

しかしブラーは英国のことは不案内だし、広すぎる屋敷を一人では管理できないので、だれか有能な人物を家政婦兼秘書として雇うことにした。その話を聞いたジョアンが、職もなく途方に暮れている姉ベチーに報せてくれたというわけだった。
ベチーは大喜びし、サザンプトンの埠頭でナイカリアン号を出迎え、ジョアンの紹介でブラーに引き合わされた。たちまち2人は意気投合し、話はとんとん拍子に進んで、ベチーはブラーの家政婦兼秘書となり、フォード・マナーというブラーの荘園屋敷に住み込むことになった。
フォード・マナーは広大で、その維持費用だけでも莫大であった。そしてフォード・マナーには、すばらしい絵画のコレクションがあった。それはゴヤやムリリョ、ヴァン・ダククなどの逸品があるかと思えば、愚にもつかないようなお粗末な絵もあるという、いかにも個人のコレクションらしい特徴があった。そして、そのコレクション全体の評価は4万ポンドは下らないと思われた。
ベチーにとっては、ブラーの家政婦兼秘書の仕事は難しいものではなかった。むしろ有能なベチーにとって、質量ともに仕事としては物足りないもので、多くの余裕があった。そこでベチーは小説を書き始め、気分転換に屋敷に飾ってある多くの絵画をじっくりと眺めた。

そんなある日、絵が少しづつずらして架けかえられ、1枚の絵がなくなっていることが判明した。ヴァン・ダイクの逸品だった。さっそくブラーにその話をすると、その絵を清掃に出したという返事だった。
これを聞いてベチーは首を捻った。名画を清掃に出すことは、かえって傷つけたりするリスクが大きく、破損や酷い汚れなど余程のことがない限り通常行われないことだった。そしてヴァン・ダイクには、破損も汚れもなかったのだ。
やがて清掃に出されたヴァン・ダイクが戻って来たが、その絵は前よりも明るくなっていた。それを皮切りに絵が次々と清掃に出されては、明るくなって帰って来たが、ベチーには名画に対する冒涜のようにしか思えなかった。
ある日ベチーは知り合いのクルウ画廊の館主チャールズ・パークに、絵の清掃の話をした。バークは顔色を変えた。やはり絵を清掃に出すことなど考えられないという、否定的な意見だった。

やがてベチーがフォード・マナーに来てから7ヶ月が過ぎた。ベチーにはある程度の貯蓄もでき、書き始めた小説も順調だった。そんなときブラーから屋敷の売却の話が持ち出された。この馬鹿でかい屋敷は維持だけで多額の費用が掛るために、一切を売り払ってアメリカに帰り新たな事業を始めるというのだ。
それはベチーが仕事を失うことを意味したが、屋敷が売れるまでの間、ベチーは改造した門番小屋の2階に起居することになった。ブラーの方は新規事業の打合せで早々にイタリアに旅立っていった。
ベチーは屋敷が売り払われる前にバークを屋敷に招待し、絵のコレクションを見せることにした。しかし当日、ベチーが風邪をひいて寝込んでしまった。後で聞くとバークは一人で絵を見て帰ったという。そしてその夜、屋敷から火が出て、大半の絵とともに屋敷は全焼してしまう。
その一方で、バークがパリで行方不明になった。バークは周囲にパリに行くことになったとだけ言って海峡を渡ったが、パリのホテルから外出したまま行方が分からなくなってしまった。
パリ警視庁はバークの足取りを探るべくスコットランドヤードに協力を要請し、ヤードではフレンチ警視が担当することになった。一方屋敷の火災により保険金を請求された保険会社は、その額の多さから専門の調査員を派遣して調査を開始した。

「黄金の灰」は1940年初版のクロフツ後期の作品で、前作の「フレンチ警部の多忙な休暇」同様に、第1部と第2部に分けられている。第1部はベチー・スタントンの所見と題されて、金に困っていた未亡人のベチーが、新たに荘園を相続することになったサー・ジョフリー・ブラーの家政婦兼秘書となるが、荘園屋敷の火災焼失と友人の画廊の主人バークの行方不明事件に巻き込まれる様子が描かれている。
主人公はもちろんベチーであり、怪しげな絵の清掃や不可解な火災など、誰が見ても事件性の臭いが濃い出来事が事実として読者の前に提示されるし、バークもおそらく生きてはいまいと容易に推測できる。ついでながらよほどの捻くれ者でない限り犯人もだいたい想像できる。
第2部はフレンチ警視の所見と題して、第1部の事件を受けて捜査するフレンチの姿が描かれる。第2部では当然主人公はフレンチなのだが、保険会社の調査員ショウがその相棒を勤める。家屋敷と絵画にかけられた多額の保険金の調査という名目での登場だが、極めて自然だ。

しかしフレンチの捜査には軽快を欠く。ものすごくモタモタ感があるのだ。慎重さというのでは決してない。読者からすれば犯人はある程度明らかなのに、廻り道寄り道ばかりしているという印象だ。
しかも訳者も指摘しているのだが、どうしたことかやたらとケアレスミスが多い。そして真相部分に入る前にささやかな読者への挑戦がある。これがまたクイーンのように仰々しいものではなく、フレンチとショウの会話に脚注として付けられているのだ。いかにもクロフツらしい挑戦状だ。
だがそれに対する真相が、これまたパッとしない。緻密さがないうえにご都合主義でありすぎる。犯人が逮捕されてから、文具程度を買ったという商人がぞろぞろ出てきたりなど、ご都合主義の最たるものだ。
全体を通すと事件も解決も地味で、意外感などはまったくなく、読後も感銘を受けることなどない作品といえるだろう。なお蛇足ながら、創元推理文庫版(絶版だが)では、フレンチはまだ警部のはずなのに、警視とされている。

ここから先はネタバレです。そのため背景色と同色で記述してあります。 お読みになりたい方は、カーソルで反転させてお読みください。
もちろん想像通りバークは殺されており、犯人はブラーであった。共犯もいる。バークはフランス国内で行方不明になるが、フランス国内では共犯がバークになりすまして行動するのだ。その間に英国でブラーはバークを殺し、死体に重りを付けて池に沈めてしまう。事件はフランスで起きたと考えられているうちは、英国にいるブラーはアリバイに守られるというわけだ。
また火災も遠隔操作による放火であった。ブラーは旅立つ前に自動発火の仕掛けをしており、ベチーに電話をし、忘れ物を口実に机の引き出しを開けさせ、連動している自動発火装置を作動させ、火事を起こさせる。そして絵だが、順次模写にすり替えられてヤミで好事家に販売されており、その証拠の隠滅のために火事とバークの口封じが必要だったのだ。

Freeman Wills Croftsのメインページにもどる
Mystery Collection Mainへもどる


Last modified -