ヴォスパー号の遭難
The Loss of the Jane Vosper 1936

沈没した貨物船ジェイン・ヴォスパー号の秘密とは…

南海汽船の所有する貨物船ジェイン・ヴォスパー号は、建造後22年も経つ老齢船ではあるが、きちんと整備されて安定した航海ができ、今も英国と南米各地を結ぶ定期航路に就役していた。
しかし、そのヴォスパー号にも最後の日が訪れた。ヴォスパー号の最後は、それまでの悪天候が回復しだし、それまでに遅れていた時間を少しでも取り戻そうと船長ら乗組員が考えていた矢先に起きた。
突然、船倉で爆発らしきものが起き、船長らが原因と被害状況を調べるべく即座に行動を開始した。しかし爆発は二度、三度、そして四度と起きて、老齢船は爆発のたびに浸水が激しくなり、ついに船長は船を放棄し、乗組員は全員退去した。
それから暫くして、2隻の救難ボートに乗った船員たちが見つめる中、ヴォスパー号は船首からゆっくりと沈んでいった。ハッセル船長以下船員たちは全員がSOSによって駆けつけた船に救助され、人的な被害はなかったのが唯一の救いであった。

海難審判が開かれて、乗組員が沈没当事のことを証言し、ヴォスパー号は第二船倉での立て続けの爆発で沈んだことが判明した。第二船倉に積まれていたのは、ウィーヴァー・バニスター製作所から南米各地に向けたガソリン発電機350箱とデニスン&ミーカーズ社の農業用機械だった。
ガソリン発電機の方は全てクレイトと呼ばれる木箱に入っていて、その上に農業用機械が一部は箱に入り、大部分はバラで積まれていた。審判では確たる沈没原因は特定できなかったが、老練な乗組員達は沈没回避に向け最善の方法をとったことは明らかだった。
しかし関係者の間では、ヴォスパー号の遭難は単なる事故ではなく、故意に行われた可能性が高いと思われた。特にそれを強く感じていたのは船の積荷の保険を引受けた保険会社だった。
ヴォスパー号の荷主は5社で、5社とも別々の保険会社が保険を引受けていたが、中でも第二船倉のガソリン発電機の保険を引受けていた陸上海上保険会社に注目が集まった。海難審判を受け、荷主のウィーヴァー・バニスター製作所が請求した保険金の額は10万5千ポンドだった。
陸上海上保険としては、バニスター製作所が故意に船を沈めたのでない限りは支払い義務が生ずるが、保険金が巨額であるとともに、別の損害事故で立て続けに大きな保険金を支払うハメになった陸上海上保険会社では、慎重にヴォスパー号沈没事件を調査すことにした。

保険会社の事故調査専門の有能な探偵ジョン・サットンが調査を担当することになった。サットンは南海汽船やバニスター製作所を始め、関係各所に出向き精力的な調査を始めた。
ところが、ある日を境にサットンは突然消息を絶ってしまった。最初に心配をし始めたのはサットン夫人であった。サットンは仕事の内容や行動は詳しく語らなかったが、居場所や状況は必ず連絡していた。一晩中連絡もなく家を開けることなどなかったのだ。
一方陸上海上保険会社もサットンの行方不明に気をもんだ。こちらは何かの事故か事件に巻き込まれたかもしれないと考えた。そこで保険会社の幹部はサットン夫人とも相談し、サットンが親しくしていたスコットランドヤードのフレンチ主任警部に相談することにした。
フレンチも旧知のサットンの行方不明を聞くと驚き、自ら捜査をすることにし、部下のカーター部長刑事とともにサットンの足取りを追った。サットンはヴォスパー号に積まれていたバニスター製作所の発電機が船に積まれる経路を調査していた。
サットンは、バニスター製作所の今回の発電機輸出の実務を担当した輸出部次長ヒズロップと会った後、2人で連れ立ってバニスター製作所を出たまでの足取りは判明した。ヒズロップの証言ではサットンとは地下鉄の駅で別れ、それ以後、サットンは行方不明になってしまったのだ。
ヒズロップによればサットンは地下鉄でウォータルー駅に向ったという。慎重なフレンチはヒズロップがサットンの行方不明に関与しているかもしれないと考え、ヒズロップの行動もチェックしたが怪しいところはなかった。サットンはかき消すように消えてしまったのだ。
フレンチはサットンの行方不明はヴォスパー号事件に間違いなく関連していると考えた。ヴォスパー号は何らかの方法により、故意に沈められ、その秘密を知ったサットンも無きものにされた可能性が高かった。

ほかでも書いたようにクロフツ中期の作品には、組織がらみの事件や企業犯罪など、社会性にポイントを置いた作品が多い。本作品もその系列に属するもので、大西洋航路の定期貨物船ヴォスパー号の沈没に絡んだ巨悪をフレンチが暴く物語だ。
冒頭の描写はヴォスパー号が大西洋上で謎の爆発に見舞われて船長以下が悪戦苦闘するも、残念ながら船が積み荷もろとも沈んでしまうと場面だ。クロフツらしい丹念な描写で、船上の奮闘や船長の心理や行動を描いている。
第二章では場面は一転して保険会社の一室となる。ここからは保険金詐欺という生臭い話を軸に、海難審判での疑問の提示、保険会社の調査へと進み、その過程で保険会社の委託調査員の行方不明事件へつながり、フレンチの登場となる。
本作品の最大の特徴は、フレンチ登場のときには明確な事件性はないということだ。他の作品ではフレンチたち警察は知らなくても、読者は明確な事件性を与えられてきた。本作品では、それすら与えられないのだ。

あくまでも仮定の詐欺事件としてフレンチは捜査を進めるが、読者とてフレンチとまったく同じ状況で、フレンチと同化して物語を読み進めるしか手はない。フレンチ同様調査員の死は確実と思っても、どうすることもできないのだ。
そしてこれがこの物語の欠点でもある。クロフツが苦手な読者なら、ここから続くフレンチの思考錯誤(本作品では試行錯誤より思考錯誤の方が絶対あっている)に辟易とし、クロフツが好きな読者ならたまらない場面が続く。なにせ細かく、重いのだ。
物語の後半にいたり、やっと死体登場だ。調査員の死体だが、この発見も思考錯誤の流れの中の偶然の産物だ。この死体の発見によって、捜査は一気に加速する。が、あくまで沈没事件の捜査であって、殺人はあくまで添え物のようだ。本作品は徹頭徹尾社会派的犯罪小説なのである。

ここから先はネタバレです。そのため背景色と同色で記述してあります。 お読みになりたい方は、カーソルで反転させてお読みください。
というわけでヴォスパー号沈没の真相は、詐欺は詐欺でも保険金ではなく発電機横領の方だ。犯人たち(ゆるい組織だが)が狙ったのは、船の積み荷の発電機で、船に積む前に偽物(同じ重さのコンクリートを木箱に流し込んだもの)とすり替え、それを某国に売り渡して金を受け取る。偽物の方は、時限装置で爆弾を仕掛けて、船と一緒に沈めてしまうという荒っぽい計画だった。本来の荷主は保険が降りるから、間接的には保険金詐欺なのだが…この時代に、これだけの社会派探偵小説を書いたクロフツには、なにはともあれ脱帽する。
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