二つの密室
Sudden Death 1932

アリバイ物の名手クロフツが書いた密室ミステリで、題名通り密室が二つ登場する。

1年近く失業していたアン・デイは、アッシュブリッジのフレイル荘の家政婦として働くことになった。職業紹介所に通い詰めた結果、フレイル荘に住む事務弁護士シバラス・グリンズミード氏に気に入られたのだ。アンにとっては、ようやく見つけた働き口で、アンはどんなことがあっても耐えようと決意してアッシュブリッジへ向かう汽車に乗り込んだ。
フレイル荘の住人はグリンズミード氏と妻のシビル、それに夫妻の2人の幼い子供だった。ほかに使用人として家庭教師のエディス・チーム、料理人のミーキン、庭師兼運転手のハーシイ、女中のグラディスがいた。アンは家政婦としてフレイル荘の切り盛りを任されたが、グリンズミード氏からは特にシビルの気持ちを損ねないでほしいとの注文がついた。シビルは体が弱く家政の切り盛りには耐えられず、今回アンを雇ったのもそのためだった。
フレイル荘について様子を見ると使用人達は皆いい人物であった。子供たちは素直で、アンにもすぐなついた。アンが最も心配していたのはシビルとの仲であったが、それもうまくやっていけそうだった。シビルの方でもアンを気に入ってくれたようだった。
仕事自体はアンにとって別段難しいものではなかった。しばらく生活するうちに、アンはグリンズミード夫妻をはじめ使用人たちや主人夫妻が時々招くお客達と友好的な関係を築き上げて行った。しかし一方で、グリンズミード夫妻の間柄が決してうまくいっていないことに気づいた。

グリンズミード夫妻は表面上は良好な関係を保っていたが、お互いを見る目つきは他人同士のようだった。夫妻の寝室も別だし、会話もほとんどないようだった。しばらくするうちにアンにも事情がわかった。原因は主人夫妻が時々客として招くホルトランシング夫人の存在だった。
ホルトランシング夫人の夫は極東航路の船長で長期に家を空けることが多く、そのためもあって夫人はグリンズミード氏と不倫の関係に陥っていうらしかった。しかも、2人の関係をシビルは気づいており、それがシビルの病気を悪化させる原因の最大のものだった。
そしてある日のこと庭の片隅で転寝してしまったアンは、密会するグリンズミード氏とホルトランシング夫人の会話を聞いてしまった。それによればグリンズミード氏はホルトランシング夫人と結婚したがっており、夫人の方もそれを望んでいた。そのために2人は、シビルの死を望んでいたのだ。
この会話を聞いてしまったアンは、シビルは2人の殺されると直感したが、まさかそのことを誰かに話すわけにもいかなかった。悩むアンだったが、ちょうどそのときにグリンズミード氏に呼ばれた。氏はアンに対しシビルと離婚したいと言った。そしてシビルの意向を確かめたいが、その役目をアンに負わせてきたのだ。アンは思い切ってシビルに話をした。シビルはパニック状態に陥ってしまった。
それから数日間、フレイル荘は小康状態だった。あとから思えば束の間の平和の時間であった。数日後、グリンズミード氏の母親がフレイル荘にやって来た。とかくの噂のある老女だったし、特にシビルとは合わなかった。そしてその夜事件が起こった。シビルがガス中毒で死んだのだ。

事件が発見されたのは翌朝になってからだった。アンは毎朝の習慣でお茶を持ってシビルの寝室に向かった。寝室のドアをノックしたが返事がなかったし、ドアも開かなかった。シビルの寝室のドアは中から電気仕掛けで鍵がかかるようになっていて、施錠も開錠もベッド際のボタン一つで出来るのだ。
シビルは寝ている時はいつも鍵をかけていた。これも夫に危害を加えられるかもしれないという極度の被害妄想によるものだった。いつもはアンがお茶を持って行くと中から鍵を開けてくれるのだが、その日はどうしたことかドアが開かないばかりか、微かに寝室の中からガスの匂いがした。
アンはびっくりして叫び、家中が大騒ぎになった。グリンズミード氏がドアを体当たりで壊し中に入ってみるとベッドにシビルが横たわっていた。すぐに医者が呼ばれたがすでに手遅れだった。部屋の中にはガスストーブがありそこからガスが漏れていた。部屋の窓は閉められており、最初は事故と考えられた。しかし、シビルはどんな寒いときでも部屋の窓は開けて寝る習慣で、ガスストーブも嫌いで使うことはなかった。
だがガスストーブのコックにはシビルの指紋がくっきりと残っていた。またアンをはじめほかの複数人からシビルがグリンズミード氏とホルトランシング夫人の件で悩んでいるとの証言もあった。それらの点から検死審問ではシビルが自殺したとの結論になった。
しかし検死官は個人的には納得しなかった。グリンズミード氏とホルトランシング夫人がシビルを殺した線も捨てていなかった。検死官は警察を通じてスコットランドヤードの副総監に相談し、その結果としてフレンチ警部がアッシュブリッジに派遣された。フレンチも最初は自殺と考えたが、ガスストーブのコックのシビルの指紋のつき方ではコックを閉めることはできてもあけることができないとわかり、事件は密室殺人事件と断定された。

カーといえば密室、パズルといえばクイーンならばアリバイといえばクロフツだろう。もっともこれはもののたとえで、そればかりにこだわったというわけではないのだが、クロフツに密室というのは少しイレギュラーだ。と思いつつ読み始めると、確かに題名の通りに密室ものだが、その密室自体はさして物語に大きな比重を占めていないことに気づかされる。クロフツにとって密室とはトリックの粋ではなく、あくまで現場の状況にしか過ぎないのだ。
物語には題名通り2つの密室が登場する。紹介文には一つは心理的、もうひとつは物理的トリックで、この2つが有機的に関連する殺人事件と書かれているが、実際にはそういえないこともないという程度のもので、有機的な関連というのも大げさすぎる表現である。
むしろ本作品はクロフツが密室を書いたというより、クロフツがドラマを書いたという方が驚きが大きい。書き出しはクロフツによくあるパターンで、失業中の主人公が新たな職場を得てという話なのだが、その後が少し趣が違う。そこで事件に向かってベクトルが収束していくという流れは変わらないが、そこの要素がドラマなのだ。

クロフツのベクトル収束のパターンは、シノプシスのような印象だったり、報告のような印象だったり、ノンフィクションやドキュメンタリーのようだったりというのが大半で、とにかく硬派の物語だし、多くは家庭ではなく企業や団体などを意識した展開になっている。ところが本作品では、それが上流家庭での愛憎劇なのだ。そしてそれが事件につながっていくから、これはクロフツに慣れた者には驚きだ。
舞台もほぼ家庭に限定されるし、登場人物たちも使用人たちを含めて限定される。したがってフレンチがあちこち事件を追って動き回るわけではないのだ。これも異例だ。しかも主人公アンの物語といっていいほど、最初から最後までアンが表舞台に立っている。途中でフレンチが登場し、視点はフレンチに移るがそれも一時的であり、またアンに視点は戻される。クロフツの場合は最初から最後まで主人公が同じというのも珍しいパターンだ。
それやこれやでクロフツの作品としてはかなりイレギュラーなのが本書だが、全体の出来としては疑問符を付けざるを得ない。ドラマとしての面白味は最後まで維持できず、密室もトリック的には面白味のないもので、犯人もさして意外ではない、というより伏線の張り方があからさますぎて途中でわかってしまうのだ。そのあたりを差し引いて、クロフツの意欲と挑戦と受け取るべき作品だろう。

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上述のシビルの死は物理的トリックで、いわゆる針と糸トリックで室外からガス栓に細工をするものだ。物語ではこの後、グリンズミード氏が密室で拳銃自殺を遂げるが、これは拳銃への指紋の付き方がおかしいとフレンチに見破られ殺人と断定される。こちらの方のトリックは心理的トリックとされる方だが、殺害時に犯人はドアの陰に隠れていたという、古典的脱力系トリック。
犯人は家庭教師のエディス・チームで、ひそかにグリンズミード氏に愛情を抱いており、それが高じて邪魔になる妻シビルを殺してしまった。ところがグリンズミード氏はこちらを向かず、愛が憎しみに変わった江ディスは氏を殺し、疑いをホルトランシング夫人に向けようとしたのだった。出来はともかく、やはりドラマだ。

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