英仏海峡の謎
Mystery in The Channel 1931

洋上の殺人と横領事件を追うフレンチ。

ドーヴァー海峡を英国からフランスに向けて進んでいた英仏連絡船チチスター号が、洋上に漂うヨットを発見したのはある晴れた日の午後だった。望遠鏡で見てみるとデッキの上で人が倒れている様子が見て取れ、ヨットには異常が生じているようだ。
チチスター号の船長の命を受け、航海士や乗組員が船客の医者とともにチチスター号のボートでヨットに近づいた。船体にはニンフ号と書かれていたが、人が出てくる気配はなかった。
航海士達が船に乗り移るとデッキの上に多量の血痕があり、船室へのハッチ近くで一人の男の死体が発見された。医者によれば死後一時間ほど経過しており、死因は銃殺だった。さらに船内を調べると、船室にはもう一人の男の死体があった。こちらも死後一時間ほど経っており、やはり拳銃で撃たれたのが死因だった。
チチスター号の航海士と乗組員がニンフ号を英国のニューヘイブン港に回航していくことになり、チチスター号にボートを返すと早速ニューヘイブンに向かった。暫く洋上を進んでいると小さなランチがニンフ号に向かってきた。ニンフ号を停めて待っていると、やがてランチが横付きとなり、ノランと名乗る男が声をかけてきた。
航海士が事情を話すとノランはひどく驚き、ニンフ号に乗り移ってきた。そして死体を見るなりその身元を確認した。ノランはロンドンのモクスン証券会社の重役であり、死体の二人はモクスン証券会社社長のモクスンと副社長のディーピングであった。

ノランのランチはニンフ号と同行することになった。二隻がニューヘイブンの港に入ると、予め連絡を受けていた警察当局による検証と事情聴取が開始された。
ノランが語るところによれば、モクスンとディーピングは重要な取引のためにニンフ号でフランスに向かう予定でいた。取引相手がヨットマンだったために、相手の気をひく意味でヨットでの渡仏を行うことにしたのだった。
ところが前日にモクスンの妹婿が事故にあったとの連絡があり、フランスにはノランが代わりに行くことになった。ところがニューヘイブンまで来てみるとニンフ号はなく、出航したことが判明した。ノランはわけもわからず取り敢えず自分のランチを出してヨットを追いかけることにした。そしてその途中でニンフ号の姿を発見したというわけだった。
事件は公海上で起こったことであり、ニューヘイブンの警察はスコットランドヤードに事件をまわし、フレンチ警部が担当することになった。
フレンチは捜査を開始したが、すぐにモクスン証券について、よからぬ噂を聞き込んだ。モクスン証券が倒産するのは時間の問題だというのだ。そしてその噂どおりに、翌日にモクスン証券は倒産した。
モクスン証券会社は、投資に失敗し経営が行き詰っていたのは事実であるが、倒産するには早すぎた。にもかかわらず倒産したのは、金庫にあるはずの支払いに当てるべき金150万ポンドがなくなっていることが判明したからだった。

どうもニンフ号殺人事件の裏には巨額の横領事件があるらしい。モクスンとディーピングは会社の倒産が避けられないと見るや、事情を知る数名とともに支払いに当てるはずの150万ポンドを持って逃亡を図ったらしい。その金はニンフ号のどこからも発見されなかった。
事実、モクスンとディーピングのほかに重役の一人レイモンドと会計主任のエスデールが行方不明になっていた。ニンフ号のデッキの上の血痕はモクスンとディーピングのものではなく、おそらく殺人犯のものであった。殺人犯は逆襲され、負傷したのだ。
一味は洋上で仲間割れしたのかもしれないし、あるいは当初から洋上で別行動をとる計画だったのかもしれない。ともかくもモクスンとディーピングが殺され、レイモンドとエスデールの二人もしくはどちらかが何らかの方法で逃走したのだろうとフレンチは考えた。
慎重なフレンチはそう思いつつもあらゆる可能性を考えた。たとえばノランが犯人だった場合はどうかなどだが、出港時間やヨットの性能などからノランが犯行を行うことは不可能であった。さらにノランは負傷もしていなければ、盗まれた金も持っていなかった。このためフレンチはレイモンドとエスデールの足取りを追うことに専念した。
さらに捜査を続けると、ニンフ号に乗った人物は二人だけであった。その二人がモクスンとディーピングかどうかは確認できなかったが、出港時には二人しか乗っていなかったのは間違いなかった。すると犯人は誰であるにしろ、どうやって洋上のヨットに近づき殺人を犯し、そしてどうやって逃げたのだろうか、フレンチの英仏両国をまたにかけた捜査が始まった。


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やがて行方不明になっていたレイモンドが発見された。なんと貨物船に火夫として乗り込んでおり、今その貨物船はオスロから英国に向かっているという。フレンチが手配した人相書き見た貨物船長が連絡してきたのだ。
フレンチは英国の港で待ち構え、レイモンドを捕捉した。レイモンドは素直に取り調べに応じ、ニンフ号にモクスンと乗ったことを認めた。出港時はモクセンと二人きりだったという。すると最初に乗っていた二人とは、モクスンとレイモンドだったのだ。
乗船するとすぐに飲み物を勧められ、それを飲むと急速に眠気が襲ってきた。あとから思えば、飲み物には麻薬が混入されたいたと思われる。そのまま眠ってしまい、気が付いたらフランスの海岸にいたというのだった。
わけもわからずうろつき、さまよううちにニンフ号事件を知り、身の危険を感じて姿を隠すことにして、ちょうど港にいた貨物船が火夫を捜していると聞き、乗り込んだのだという。フレンチはこの話を信じた。するとディーピングはいつどうやって乗り込み、レイモンドはどうやって船から降ろされたのだろうか…

クロフツには海や船が関係する作品が実に多い。処女作の「樽」をはじめ「海の秘密」「マギル卿最後の旅」「ヴォスパー号の遭難」「船から消えた男」等々である。そしてこの「英仏海峡の謎」もその一つで、文字どおりドーヴァー海峡を漂うヨットの中で、二人の男の他殺死体が発見されるというのが幕開きだ。
フレンチが事件を担当するが、公海上に漂うヨットの上での事件は目撃者があるはずもなく、手掛かりにも乏しい。つまり事件の結果だけがいきなり提示され、何が起きたのか、まったくわからないのである。そこで前半ではフレンチの捜査は、何が起きたのかを焦点に進められる。すると事件の裏には証券会社の巨額横領事件があったことが浮かび上がる。
なにやら社会派的な雰囲気だが、実はクロフツには企業がらみの犯罪が事件に絡むケースも多い。それは詐欺であったり、産業スパイであったりといろいろだ。しかしクロフツは企業に絡む犯罪そのものを描きたいのではないし、ましてやリアリズムを追求したわけでもない。それらはほとんどの場合、動機の面からのものであって、犯罪行為そのものには関係がない。やはりクロフツが描きたいのは犯罪そのものであり、犯行過程なのだ。

中盤では捜査の的が絞られ、犯人と思われる人物2人が特定される。ここまでの大きな謎は、ニンフ号にいかにしてディーピングとエスデールが乗り込んだかだが、2人はフランスで船外モーターを調達し、それをはしけに取りつけてニンフ号と落ち合って乗り込んだのだ。
モクスンとディーピングは殺されているのだから、容疑者はレイモンドとエスデールということになり、フレンチによる追跡が始まる。実はこの追跡劇に至るのは、フレンチの立てた仮説に基づいてのものだが、その仮説が本当にありそうなことであり、しかも丹念に組み上げられているうえに傍証もあるから、読者はいつの間にか仮説であることを忘れ、事件の本筋を追っているように錯覚させられる。ここがクロフツの巧妙なところで、真剣に読めば読むほど仮説であることを忘れてしまう。
さらにこの追跡劇の途中にも伏線が張られているのだが、このあたりはさすがしたたかである。そしてフレンチが追っていた2人ともが犯人でないとわかるまでが中盤だろう。中盤では珍しくフレンチは2人の同僚の手を借りている。ひとりはタンナー警部であり、もうひとりはウィリス警部だ。タンナーはおそらく「ポンスン事件」の捜査官(ポンスン事件ではタナーだが)であり、ウィリスは「製剤所の秘密」の捜査官であろう。

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終盤では一気に事件の構図が浮かび上がる。犯人も船外モーターを利用したのだった。犯人は自分のヨットに船外モーターを取り付けてニンフ号に向った。ニンフ号に落ち合うと、すでにレイモンドは眠らされディーピングたちが乗って来たはしけに乗せられて海に放たれ、ニンフ号の乗り組みは3人になっていた。犯人は3人を殺害し、エスデールは海に沈め、自分のヨットに戻る。しかるべき地点で船外モーターをはずして海に沈め、何食わぬ顔でヨットを操り、やがて死体が発見されてニューヘイブンに回航されるニンフ号に落ち合うというわけだ。
ちなみにノランが早い段階で犯人でないとされたのは、時間的に犯行が無理であることのほかに負傷していないことと盗んだ金を持っていないことが理由であった。時間の問題は船外モーター利用でアリバイを作り、負傷はエスデールがしたもの(よってデッキ上の血痕はエスデールのもの)、金はダイヤモンドに代えられてノランのヨットに巧妙に隠されていたのだった。
トリックというにはあまりに単純な手段ではあるが、効果的に使われて犯人を守っている。逆にそれがわかればすぐに犯人ノランにたどり着けるのだが、そこはさすがにクロフツでうまく書かれていている。

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