海の秘密
The Sea Mystery 1928

海の中から死体入りの木箱が釣り上げられるという事件が起きた。

ウェールズ南部のベーリー入江には、休暇の最終日に釣りをして楽しむ親子の姿があった。しかし、潮の関係で引き上げざるを得ない時間になっても、ボートの中の釣果は思わしくなかった。その時、はからずも息子の釣竿に手ごたえがあった。
かかったのは大物らしく、父親も手伝ったが、それは魚ではなかった。大きく、しかもかなり重たい木箱だった。とてもボートに引き上げることができず、ロープをくくりつけて港まで引っ張ってきた。
港で引き上げた箱の蓋を開けてみると、その中には下着姿の半ば腐乱しかけた男の死体が、折り曲げられるようにして入っていた。あたりには腐臭が漂った。
連絡を受けた警察が死体を調べた。死後5〜6週間が経過しており腐乱が激しい上に、死体の顔は徹底的に叩き潰されていて、中年の立派な体格の男としかわからなかった。身体的な特徴も、左腕の後ろ側に小さな三角形のあざがあることぐらいしかなかった。
地元警察は、あまりの手がかりに無さにスコットランドヤードに連絡し、フレンチ警部が派遣されてきた。フレンチは唯一の身体的な特徴である小さな三角形のあざと、木箱がどこから投げ入れられたかという二点から捜査を始めることにした。

とはいえ、それは容易なことではなった。死体の入っていた木箱には、3本の鉄棒が錘代わりに入れてあり、底には穴がいくつも開けられていた。このことは犯人が死体をこの世の中から永遠に隠そうと意図したことの現れであった。
さらに死体がもし見つかっても大丈夫なように、犯人は死体の顔を潰し、服も剥ぎとるなどして、あざ以外は徹底的に被害者の身元を知る手がかりとなるものを消し去っていた。
そこでフレンチは、木箱はいかにしてベーリー入江の海底に沈んだのか、という点から捜査を始めることにした。同じ投げ込むなら入江などではなく、外洋に投げ込んだ方が発見される確率は圧倒的に低いはずだった。
したがって木箱は発見された地点で投げ込まれたわけではないと考えたフレンチは、潮の流れや小箱に流入した海水の量などから計算し、入江の幅が狭まったところに架かっているルックール橋から投げ込まれたに違いないと結論した。
ルックール橋の周辺を捜査したところ、クレーン付きのトラックが夜中に泊まっているのが目撃されており、そのトラックから辿って行った結果、ヴィダ事務所用品製造会社に行き着いた。

しかもヴィダ会社では、ちょうど死体が投げ込まれたころに、悲劇が発生していた。営業担当役員のチャールズ・バーリンと技術外交員のスタンリー・パイクの2人が、ダートムアの湿地で行方不明になったのだ。
2人は車で湿地帯を走っていたが、その車が故障し、救援を求めに行く途中で道に迷って、あやまって底なし沼にはまってしまったらしい。死体は発見されなかったが、故障した車が放置されていた。
フレンチはダートムアの悲劇と木箱の死体が関連あるのではないかと考え、バーリンの妻のフィリスとスタンリーのいとこのジェファーソンに木箱の死体の確認を依頼した。
その結果、木箱から発見された死体は、その左腕のあざからスタンリー・パークのものと判明した。ダートムアの悲劇と思われていた事件は、殺人事件と判明したのであった。 いくほどローパーは根っからの悪人であることが証明されていった。ここに至りフレンチはローパーがどこかで生きていると確信し、警察力を総動員してローパーを捜し求めた

「海の秘密」はクロフツ流ミステリの要素が凝縮された作品といえるだろう。発端では、海の中から死体入りの木箱が釣り上げられるという、いささかショッキングながら偶然性に満ちたできごとが語られる。とはいえ陰惨さや不快感などはまったくない、事件のわりにはビジネスライク的な会話や描写だ。
その死体は、顔はつぶされ服は剥ぎとられ、誰のものかもわからず、すぐにフレンチ警部が登場する。フレンチは、まさにこの人らしい着想で、死体がどこから投じられたかという面からの捜査を開始する。決して行方不明者をあたるなどという捜査をメインには据えない。
緻密なロジックを積み上げて木箱の投下点を推理し、さらに実験もして投下地点を確定して、そこから目撃情報を集め、ついに死体の主に行き着くわけだ。ここまでで全体の四分の三が費やされているが、その捜査はロジカルであり地道であって、見事に尽きる。
このあとはフレンチが事件の犯人を仮定し、その仮定に基づく捜査が繰り返される。その捜査もあくまで前半と同じく、ロジカルであり地道であって、決して細かいことまでおろそかにしない。

クロフツをよくアリバイトリックの名手ということがあるが、むしろアリバイより「海の秘密」のような展開の方に見事さがある。ほとんど何もない状況から、ある一つの細かい点に注目し、それを辿って事件を再現していくというのは、まさにクロフツの独壇場であろう。
その結果、容疑者が絞られた時にアリバイが威力を発揮するのであって、決してアリバイの為の事件ではないのだ。そのあたりクロフツはさすがにプロである。本作品はアリバイものではないが、アリバイなどなくてもロジックを積み重ねていくことによって、犯人に至る手際はアリバイもの以上に緻密であり鮮やかである。
反面、こういう作品はトリックらしいトリックもないわけだから、好き嫌いがかなりはっきりと分かれるだろう。このあたりにクロフツの人気がいま一つの原因があるような気がする。


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さて事件であるが、フレンチは被害者をスタンリー・パイクと断定して捜査を進める。もちろん車の故障も故意であったのだ。動機の面から何人かの容疑者が浮かび、機会の操作が行われるが、いずれも決定的な証拠は得られない。むしろいずれも犯人ではない可能性の方が高い。
最後の最後までフレンチは犯人を特定し得ないが、逆に犯人の方がフレンチに罠を仕掛けて来た。フレンチは大きな勘違いをしていたのだ。被害者と思われたスタンリー・パイクは生きていた。スタンリーは病死したいとこのジェファーソンと一人二役をやり、スタンリーが殺されたみせかけたのだ。では被害者は誰かといえば、チャールズ・バーリンであり、バーリンの妻のフィリスとスタンリーは不倫の関係にあったのだった。
もちろんフィリスも共犯で、フレンチは犯人2人の証言で死体がスタンリーのものと信じてしまったのだ。このあたりは慎重なフレンチにしては手抜かりもいいところで、事件解決後は大いに本人も反省している。読者の方も、よく考えれば顔の潰れた死体の身元確認はもっと慎重にするべきなのに、おかしいとおもわなければいけないのだが、緻密でロジカルな描写にごまかされてしまって、フレンチの失策など全く気にせずに読み進んでしまうから、クロフツの筆力に一本取られたように感じる。お見事。

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