密室と奇蹟
東京創元社

J・D・カーの生誕100年を記念して2006年に刊行された全篇書下ろしの記念アンソロジー。
ジョン・ディクスン・カー氏、キデオン・フェル博士に会う
芦辺拓
第二次大戦下、BBCの要請で英国に戻って来たジョン・ディクスン・カーは、さっそく放送会館に向い、ラジオドラマ「恐怖との契約」の生放送に立ち会う。「恐怖との契約」の脚本は、もちろんカーであった。
放送が始まり暫くすると声優のルイーズ・レイバーンが合図をしてスタジオから出てトイレへいった。ルイーズの役は準主役級ではあったが、暫く出番がなかった。そういう事情から、本来なら好ましいことではないが、プロデューサーも許可したのだった。
しかしこれが大騒動につながってしまった。ルイーズがいつまでたっても戻ってこないのだ。番組はどんどん進行する。関係者は焦るが、ルイーズは現れない。カーの機転でルイーズの出番はナレーションや主役の独白でしのいだが、クライマックスの場面はさすがにごまかしが効かない。
そんなとき演出助手の女性がトイレに縛られて転がされていたルイーズを発見した。助け出されたルイーズによれば、番組が始まる前にトイレに行ったところを襲われ薬を嗅がされて縛られたという。
してみると番組に出たのはルイーズに化けた偽者だったのだ。そういえば声もセリフ回しも、少しおかしかったような気がする。だが今はそんなことはいっていられない。番組はもうすぐクライマックスを迎えるのだ。ルイーズは番組でると頑張ったが…

少年バンコラン! 夜歩く犬
桜庭一樹
1900年のパリ、ムーランルージュの敷地内にある通称「子豚のお腹」という塔の中から悲鳴があがった。「子豚のお腹」は、丸焼きにされる子豚をかたどったユニークな塔で、中はたくさんの真っ赤な小部屋に別れていた。
小部屋には腎臓や肝臓、骨髄などの名前が付けられ、猥雑なショーを終わった踊り子たちが、財布を持った客としけ込むのだ。その部屋のひとつからあがった悲鳴、そしてその部屋ではひとりの踊り子が首を切られて死んでいた。
死体に施された青い矢の刺青から、踊り子の名はすぐに分かったが、なぜか首は見つからなかった。殺人犯人が持ち去ったものと思われる。同じ時間、踊り子の一人が帰宅途中、街角で人面犬に出会っていた…

忠臣蔵の密室
田中啓文
赤穂四十七士による吉良邸討入り、志士たちは邸内をくまなく探すが目指す仇吉良上野介の姿はない。討入りから半時がたち、原惣右衛門ら4人が上野介の寝所近くの炭小屋で上野介を見つけた。
だが上野介は脇腹に短刀を突き立てられ、すでにこと切れていた。唖然とする惣右衛門ら4人。これでは面目が立たない。そこで上野介を討ち取ったことにして首を挙げ、その場を繕った。
だが惣右衛門は頭をひねる。炭小屋には窓ひとつなく出入りできるのは扉だけだが、そこは外から釘づけにされたうえ、積もった雪には上野介のものも含めて足跡一つなかったのだ。
雪は前日から降ったが、朝方にはやんでいた。また状況から自殺とも思えない。目指す仇上野介は、すでに雪の密室で殺されてしまっていたのだった。

鉄路に消えた断頭吏
加賀美雅之
ロンドンからリンカーンに向けて疾走する急行列車「青い流星」号の特別車で惨劇が発生した。特別車は1号室から3号室の3つの客室と2つの洗面所、それに乗務員室で構成されていた。
惨劇があったのは2号室で、乗客のジャクリーン・ミゼットが被害者だった。ジャクリーンは宝石商という表向きの顔の裏で、密輸品の売買で利益を上げ、警察から尾行されていた。
1号室にはスコットランドヤードのハドリー警視とエイムズ巡査部長が交代で2号室を見張り、3号室にはユダヤ教のラビが乗っていた。ジャクリーンは乗車早々、発車前から扉に鍵をかけて2号室に閉じこもっていた。
1号室の2人の警官は交代で食堂車に食事に行くことにし、ハドリーが食事に立った。エイムズ巡査部長は、デッキで煙草を吸いながら貫通扉の窓越しに2号室を監視していた。
すると2号室から何かを抱えた影が飛び出してきた。エイムズは慌てて乗務員を呼ぶ。貫通扉は自動施錠式で、外からは入るにはいちいち乗務員を呼ばないといけないのだ。乗務員室の扉が開き車掌が出て来たが、その瞬間、影は洗面所に逃げ込んだ。
車掌はエイムズの指示で洗面所を開けようとするが、中から押さえているらしく開かない。そこで貫通扉を開けてエイムズを入れ、2人で引き開けることにした。ところがエイムズが中に入って貫通扉に手をかけると、なんのことはない、あっさりと開き、中には誰もいなかった。
中の影はどこに消えたのか。一方影が出て来た2号室は、内側から鍵がかけられていたが、扉のガラス越しに中を見ると、ジャクリーンの首を斬りおとされた死体が転がっていた。

ロイス殺し
小林泰三
カナダの北縁の地にある小さな村で生まれ育った俺が、村でただ一人心許せるのはマリーだった。ユダヤ人の家庭というだけで、俺たち一家は差別されてが、マリーだけは俺を対等に扱ってくれた。
だからそのマリーを強姦し、しかも死に至らしめたロイスは許せなかった。そのことを知った日、俺はマリーの亡骸もそのままに、ロイスを追いかけて雪の中に飛び出した。
だが憎さだけでやみくもに飛び出したために、俺はすぐに雪の中に倒れこみ、気が付いたときはエスキモーのテントにいた。親切なエスキモーに助けられ、俺はやがて街に出た。
そしてそこで俺は不良の仲間入りをし、さらに数年後、もっと大きな町のギャング団に入った。そしてそこでギャングの下っ端を勤めるロイスと再会したのだ。
俺はすぐにロイスと分かったが、ロイスはすっかり変わり果てた俺に気が付かなかった。俺は復讐の念を胸にロイスに接近し、ロイスも俺を信頼するようになっていった。

幽霊トンネルの怪
鳥飼否宇
幽霊が出るとの噂がある綾鹿町と鷹羽町を結ぶ全長2kmの双頂トンネルで、車が消えたという訴えがあった。訴えて来たのは元暴走族の穐山隆一とお嬢様育ちの大地仁美の2人。
隆一と仁美は不似合いなカップルながら恋人同士で、この日は仁美の希望でドライブに行った。運転はもちろん隆一の役目で、向ったのはこれも仁美の希望で双頂トンネル。このトンネルを通っても鷹羽町から先は道がなく、したがって深夜ともなれば交通量は極端に減る。
さて2人の乗ったロードスターがトンネルに近づくと前をのろのろと走るベンツがあった。後ろから見るとやばい車のようで、隆一はトラブルを恐れ追走することにした。
ベンツはトンネルに入りさらに速度を落とし、こちらもそれ以上に速度を落とす。明らかに挑発しているようだ。やがてトンネルは右にカーブをするが、その直前に仁美が目のベンツのナンバーを読んだ。
8842、このナンバーを見た途端に仁美はベンツを追うように哀願した。ほとんど同時にベンツは速度を上げ、あっという間にカーブに入り視界から消えた。少し遅れて隆一も加速し、猛然とベンツを追うがカーブでもあり一向に姿は見えない。
やがてカーブが終わった、が前を行くはずのベンツはどこにも見えない。いくらベンツでも、距離からいって視界から消えることは不可能だ。隆一は徐々に速度を落とすが、そのとき仁美が叫んだ。後ろから猛スピードで車が追いかけて来たのだ。
仁美が振り返って見ると、それは先を行っているはずの8842のベンツにほかならなった。バックミラーで確認した隆一は必死で速度を上げた。が、トンネルを出てミラーを見ると追って来るはずのベンツはまたも消えうせていたのだった。

ジョン・D・カーの最終定理
柄刀一
カーの生誕百年祭が日本でも開かれることになり、それに先立って展示の目玉である「カーの設問詩集」が到着した。「カーの設問詩集」とはイギリスで少部数出版された「未解決事件への入口」という本で、それを熱烈に愛読したカーの書き込みがあった。
カーはそのうちのいくつかの事件を推理し、一部はカーの推理により解決に至っていた。例えば銃弾が正邪を見分けるフランドルの魔弾事件や部屋の中でいきなり人が燃えだしてしまうイーストエンドの人体発火現象事件などである。
この「カーの設問詩集」を前にして、学生達が合宿を行っていた。いずれもカーマニアのつわものたちで、中の一人の父親がカーの生誕百年祭の有力なスポンサーだったために実現したのである。ところが、この合宿で殺人事件が起きた。それも衆人環視の密室状態で殺されたのだった。

亡霊館の殺人
二階堂黎人
ロンドン郊外、ウィンザー城の近くに建つ亡霊館。そこに住まうのはフローラ・ゼック夫人と夫のジェイムズ・ゼック医師、ゼック夫人の祖父のゲディングズ老人だった。その亡霊館では10年前にフローラの義父マイケル・ライリーが、不可思議な状況で殺されるという事件があった。
10年前のその日、亡霊館は深さ5センチほどの新雪に埋まっていた。ライリーは街路を歩いてきて館の門を通って小径を進み、車寄せまで来たその時、いきなり前のめりに倒れたのだ。何者かがライリーの胸を呪いの短剣で突き刺したのだ。
ライリーの後をゼック医師が歩き、館の2階の窓からはフローラとメイドのスザンナがライリーの姿を見ていた。つまり前後に目撃者がいたわけだ。だが目撃者はライリー以外誰も目にしなかったし、雪の上にはライリーの足跡以外なかった。
凶器の呪いの短剣は昔魔女狩りに使われたもので、今ではフローラの所有になっていた。その短剣はいかにしてライリーの胸に突き立てられたのか。
今また亡霊館ではまた不可解な殺人事件が起きた。降霊会のために呼ばれた降霊術師のマルク・ワレムが密室の中で、殺されたのだ。やはり凶器は呪いの短剣だった。
現場はドアと窓には内側から鍵がかけられ、さらに隙間にはテープと糊で目張りがしてあった。ドアの上のガラス越しに部屋の中を覗いても、窓から部屋の中を覗いても、被害者以外は確認できなかったのだ。


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