鮎川哲也の密室探究・第二集
講談社(入手難)

鮎川哲也、松村喜雄、天城一3氏による密室ものアンソロジー。天城一の「密室の系譜」を併載。
京鹿子娘道成寺    
酒井嘉七
歌舞伎芝居京鹿子娘道成寺の舞台で殺人。
有名な鐘の中に安珍が入り、清姫の化身の大蛇となって現れる場面で、鐘の中に入った名優岩井半四郎は、鐘が上がったときには額を割られて殺されていた。
半四郎の安珍は、張子の鐘の中で自身で隈取をし衣装を変えて変りをするので有名で、大蛇の隈取をした姿であったたことから、鐘の中に入って暫くして襲われ殺された考えられた。凶器は三味線の象牙の撥で、鐘の中にそのまま残されていた。
しかし、それでは衆人環視の中で何者かが鐘の中に入り殺人を犯したことになるのだが、鐘の上部には空気抜けの穴が空いてはいるが、その穴も小さく人が通り抜けられるものではなく、ほかには鐘の周囲に隙間もない。道成寺の鐘は舞台上の密室でもあったのだ。

銀座幽霊    
大阪圭吉
戦前の本格派大阪圭吉の作品。この作品は昭和10年雑誌「新青年」に発表されたもの。


東銀座の真中に位置するカフェ青蘭とその向かいに位置する煙草屋が事件の舞台だった。煙草屋は未亡人房江が営んでいたが、そこに情夫が入り、その後の店の繁盛も手伝って若い女の店員澄子を雇ったことから人間関係がおかしくなった。情夫達次郎と澄子が出来てしまったのだ。
房江はやきもちを焼き、ついに事件が起きた。その夜は達次郎は留守で、煙草屋の二階では房江が澄子を呼んで折檻を始めた。その二階と狭い露地を挟んで向かい合うカフェ青蘭では、女給たちが顔を見合わせた。
煙草屋のゴタゴタは青蘭でも有名だったのだ。煙草屋では最初窓を半分開けたままにしていたが、青蘭から丸見えになっていることがわかり窓を閉めてしまった。
その後、そろそろ青蘭が閉店となる頃に、煙草屋の二階で人が争うような大きな音がし電気が消え、ガラス戸に無地の黒い着物の背中が写るとガラスの一部が割れた。
その割れたガラスを通して、中で剃刀を持って苦しむ女の姿が覗いたから、大騒ぎになった。煙草屋でも房江の娘の君子が飛び出してきた。急を聞いた巡査が駆けつけてきた。
巡査が煙草屋に入ると剃刀で喉を掻き切られた澄子が、「房江、房江」といってこときれた。房江が痴話喧嘩の挙句澄子を殺したと思われ、さっそく煙草屋が調べられたが、二階の押入れから首にタオルを巻かれて絞殺された房江の死体が見つかった。
そして不思議なことに検死の結果、房江は澄子より一時間も前に殺されていることがわかった。再び大騒ぎになった。煙草屋の中はくまなく調べられたが犯人が潜んでいる形跡は皆無、表側はカフェ青蘭に面しており逃走は不可能、さらに裏口も焼き鳥屋が店を出していて犯人は逃走できなかった。
家にいた君子には二人をも殺す動機はないし、不自然なところもなかった。密室の殺人事件となってしまったのだ。

月世界の女    
高木彬光
「能面殺人事件」「刺青殺人事件」で終戦直後にデビューした息の長い本格派の高木彬光のごく初期の作品。


中禅寺湖の畔に近いホテルに滞在する竹内元子爵家の令嬢月子は、絶世の美女ながら狂気が入っているらしく自身は月の姫だと思っていた。
その月子を追って結婚希望者の財閥の御曹司大倉、元伯爵家の元海軍士官大友、苦学生の判事阿部の3人が相次いでやってきて、ホテルにいた松下研三とともに月子争奪戦となった。
しかし、その月子がホテルのロビーから消えてしまった。ロビーからは外への出入口が二つあったが、一つからは月子を追って松下が入ってきたし、もう一つは中から鍵がかかっていた。
さらにロビーから二階に上がる階段からは大倉が降りて来たし、両翼に伸びる廊下の一方からは大友がやって来た。残るはもう一方の廊下であったが、そこからも月子は見つからなかった。松下は知人の名探偵神津恭介に電話をするが、恭介は謎のようなことを言うばかり。
月子は月の姫として月に帰ったのだろうか…

三つの樽    
宮原龍雄
追突事故を起こしたオート三輪の荷台から転げ落ちた2つの樽。1つはなんでもない空の樽であったが、もう1つの蓋の外れた樽からは若い女の全裸死体が出て来た。
樽は2つとも須田画伯がアトリエに使っている城南荘というアパートの一室から須田画伯の自宅に宛てて運ばれる途中のもので、オート三輪に乗っていた2人の運送会社社員が十数分前にアトリエから運び出したものだった。
2人の社員の証言では、アトリエには樽が2つあり、1つは空のまま積み込み、もう1つには石膏の裸像を詰めたという。
石膏像を詰めたのは運送会社の社員で、その後事故を起こすまではほとんど樽は人目についていたことがわかった。
ほんのわずか、アトリエで画伯とモデルの2人だけの時があったが、それもほんの2分程度で、その後は運送会社社員がオート三輪に積込み、車がスタートしてからもずっと別のトラックが後ろについていたという。
オート三輪に追突したのいはそのトラックで、トラックの運転手も樽にはまったく異常がなかったと証言。しかも死体の主は須田画伯のところにいたモデルと判明。そのモデルは須田画伯とともに樽の荷造りに立会い、出発を見送っていた。
いつのまにか樽の中の石膏像が、死体に入れ替わってだけでも頭を抱える謎なのに、その死体の主は樽の出発まで生きていたという謎まで加わってしまったのだった。

木箱    
愛川純太郎
岡山県K市の繁華街にある山根茶道具店では京都の三原黒竜洞という陶匠に大量の皿や茶器の製作を依頼し、その品が6つの木箱に分けられて配達されてきた。
その木箱を順々に開けていったところ、最後の一つから小柄な男の死体が転がり出て来た。被害者は三原黒竜洞の使用人笠原輝夫であった。
笠原は脳天を鈍器で殴られていて、それが死因でもあったがその後荒縄で首を絞められていた。
京都での荷物の引渡しと、その後の梱包には山根茶道具店から主人が行って立ち会っており、死体が出て来た木箱には茶碗や皿を詰めたはずであったという。
しかも、その木箱には釘を一回しか打った跡がなかった。つまりいったん釘付けされた後は、K市の山根茶道具店で開けられるまで開かれなかったのである。
警察は京都にも出張し、運送会社にも聞き込みを行った。運送会社では配達中には不審はなかったが、6つの木箱のうち1つだけが異様に重かったと言う。
すると死体は発想される前、京都の三原黒竜洞で詰められたに違いない。だが主人の山根も三原黒竜洞の関係者も道具を入れた後に釘付けされるのを目撃していたという。では、死体はどうやって木箱に入れられたのか?

白鳥の秘密    
梶龍雄
梶龍雄は「透明な季節」で第23回江戸川乱歩賞を受賞した本格派。本作は初期の作品で宝石の昭和31年1月号に掲載されたもの。


被害者黒形氏の死体は、同氏の邸内の北西隅に最近新築された茶室内で、あたりを血に染めて横たわっているのを、8時半同所で用談の約束で来訪した佐野さんによって発見された。
同日7時少し前に止んだ雪の上に、茶室に通じる足跡としては、最初の発見者佐野さんが茶室と木戸の間を往復した靴跡と、黒形氏が母屋から渡って来た片道の下駄の歯跡しかない事から見て、一見事件は自殺のようにも考えられる…
というのが新聞に出た事件の概要であった。事件は自殺ではなく他殺であった。木戸の取っ手に黒形氏の血痕が付着していたことが、他殺とした理由であった。
黒形氏はいかがわしい雑誌社の社長で、佐野さんとは著名なバレリーナ上柳八津子の姉佐野りつ子のこと。佐野りつ子は黒形と何か話があったらしく、この夜8時半に茶室で面会することになっていた。
佐野りつ子は茶室に入って黒形の死んでいるのを発見し、驚いて木戸まで戻り、そこで黒形の部下馬淵に会って茶室の様子を告げたのだった。
佐野りつ子が犯人とも思われたが、黒形氏の死亡推定時刻は7時前後。その時間には佐野りつ子にはアリバイがあって犯行は不可能だった。よって事件は足跡のない殺人となった。

冬の時代の犯罪    
天城一
本業が数学者であり、独特の文体で余技に執筆する天城一は、熱烈なファンを一部に持つ作家で、密室・アリバイ・不可能犯罪物の短篇を主に発表。本作は昭和49年発表の摩耶正ものの一編


終戦直後の東京郊外、そこはまだ住宅が建つ前で雑木林と農地と果樹園ばかりの土地だった。その広い畑の真ん中に全裸の女性の絞殺死体が発見されたのは大雪が降った後の朝だった。
死体の周囲には何もなかった。だれの足跡一つなかったのだ。被害者の裸の体の上に雪がなかったことから、雪がやんでから死体が置かれたか、ここで死体となって服を脱がされたかのどちらかだ。しかしどちらにしても、被害者のものも含めて足跡一つないとは…

鎌倉の密室    
渡辺剣次・松村喜雄
渡辺剣次の死去後に発見された5枚ほどのシノプシスと15枚ほどの別な書き出し部分の原稿から、渡辺氏をよく知る松村喜雄が書き上げた作品。


女性月刊誌の編集者日野かな子は、雑誌の取材で鎌倉の山の中に住む画家葛西史郎を訪ねる。葛西は変り者で、鎌倉の家の裏山にある洞窟の壁面にフレスコ画を描いていた。
かな子が葛西を紹介してくれた銀座の画商赤倉とともに葛西の家を訪れると、葛西の妻涼子が、葛西は洞窟の中でフレスコ画を描いていると言い、2人を案内してくれた。
洞窟の入口の樫材の扉は閉まり、中から南京錠が掛けられていた。外からの呼びかけたが返事はなく、中から呻き声聞こえてきた。
変事と悟り赤倉が斧で扉を破り中に入ると、薄暗い電灯の下で頸部を矢で射抜かれて葛西が横たわっていた。もちろん出入口は扉一つで、そこは洞窟の密室だった。

密室のショパン    
霜月信二郎
泡坂妻夫、連城三紀彦らと同じく幻影城作家の一人で、本篇は雑誌「幻影城」昭和52年7月号が初出。


箱崎音楽学校の創立者であり経営者であり校長でもあった箱崎大造は、男三人女一人の子供を自宅に呼び寄せ、病気の為に引退し、副校長の玉置正彦に後を譲ると宣言した。
玉置は大造とは敵対していたが、時代の流れには勝てないと、子供たちの反対を押し切っての決定であった。その夜9時半には玉置と弁護士を呼んであり、その席で最終的に決定するつもりだとも言った。
そして8時少し前に大造は、母屋から20メートルほど離れて建つ書斎兼ピアノ練習場に日課となっているピアノのレッスンに向かった。すぐにショパンの「雨だれ」が聞こえ始め、その音は間断なく続き、ピアノの音が止んだのは9時20分ごろであった。
9時30分、玉置たちがやってきたが一向に大造は現れず、離れに行っても一つしかない扉には鍵が掛けられていた。予備の鍵を探し出し鍵を開けて入ってみると、殴り殺された大造の死体が…
凶器は室内にあった銅製の重い花瓶、ドアの鍵はスイス製の特殊な物で合鍵の作成は不可能で正規の鍵は大造が握っていた。
ドアを開けた予備の鍵は使われた形跡がなく、埃にまみれていた。現場の離れは完全な密室であった。

少女は密室で死んだ   
山村美紗
トリックメーカとして名高い女流作家山村美紗の女検視官江夏冬子シリーズの一篇で、問題小説昭和52年9月号掲載の作品。


勉強部屋として建てられた離れで、中学生の少女が死んだ。シンナーの瓶が転がり、頭からかぶったゴミ袋の中にもシンナーが入っており、自殺か事故と考えられたが、新任検視官江夏冬子は少女が妊娠していることと首を絞められたと考えられることから、シンナーは偽装で他殺を主張。
その後、医学的に江夏の言うことが立証されて、殺人事件に切り替えられた。しかし現場の離れは、ドアは内側から鍵が掛けられ、鍵は2つとも現場の机の引出から見つかり、窓も内側から鍵がかかった密室であった。

金門橋の自殺者   
花屋治
サンフランシスコで日本料理店を経営する中山三郎が金門橋から投身自殺した。死体はあがらなかったが、金門橋からの投身者の死体はあがらないことも多く、それは別段不思議なことではなかった。
近くに停められてあった中山の車の中に遺書があり、それには中山の筆跡で、サンタクララのジョー・コバヤシを殺して自殺する旨のことが書かれていた。
警察で調べるとジョーは自宅の寝室で、匕首によって背中を刺されて死んでいた。現場の寝室は中から鍵が掛けられた密室で、匕首は中山が日頃使っていたものであり、その柄から中山の指紋が検出された。
ただ、サロンからルミノール反応があったため、殺害現場は寝室ではなくサロンであると考えられた。この話を聞いたサンフランシスコ総領事館の松山領事は事件に不審を抱く。

密室の夜   
山沢晴雄
山沢晴雄は関西出身で本業が公務員。創作は余技のために作品数は多くない作家で、本作はこのアンソロジーの為に書き下ろしたものという。


社長室の鍵のかかった書類庫の中から転がり出たのは女の死体。女の名は津川洋子といい、昨夜この会社の社員向井がチェス教室から後をつけていた。
向井がチェス教室に通っていたのも津川洋子に会いたい一心で、昨夜は教室終了後お茶に誘ったものの、用事があるからと断られ、興味半分で向井は津川洋子の後をつけたのだった。
すると向井の勤める会社のあるビルに入っていったが、それが8時半。向井はそれを見届けると家に戻っていった。津川洋子はそのまま帰らぬ人となって、翌朝書類庫の中から死体で見つかった。
書類庫の鍵は3つ。一つは社員の田村が持っていたが、これは昨夜洋子がまだ生きているうちにバスの中で落とされてしまい、その後に発見された。
もう1つは社長が持っていたが、社長は7時半過ぎに町でトラブルにあい、暴力団関係者に刺されて病院に緊急入院。最後の1つは会社の金庫の中に保管されていて、金庫のダイヤル錠のナンバーは向井しか知らなかった。
それにビル自体も通用口を除いて施錠され、通用口にはアルバイトながら守衛がいて、津川洋子など入ってこなかったという。
すると洋子はどうやって社長室に入っていったのだろうか。その難関を突破しても、殺した洋子をどうやって鍵のかかった書類庫に入れることができたのか…

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