歴史の勉強

甲斐国  谷戸城

    

大手口横堀

東斜面より帯曲輪

帯曲輪

三郭横堀

二・三郭南虎口

一郭

平成の大合併により、北巨摩郡の町村が合併して北杜市が誕生した。その旧町村のうちの大泉村谷戸に位置するのが谷戸城である。
この城は復元整備されたうえ、公園化されていてその入口には谷戸城ふるさと歴史館が建っている。歴史館受付では谷戸城のパンフレットを100円で入手でき、これを先に入手したうえで歴史館から城址公園というルートがお勧め。
そのパンフレットによると、そもそも谷戸城は甲斐源氏の発展の礎を築いた、逸見清光の築城と伝えられる。甲斐源氏は八幡太郎義家の弟新羅三郎義光の流れで、その孫にあたるのが逸見清光とされる。
清光は父の武田義清とともに常陸に住していたが、乱行をとがめられて甲斐に配流され義清は平塩岡(市川三郷町)に、そして清光は谷戸に城を構え土着したといわれるが、伝承の域を出ない。
清光は仁安三年(1168年)に没し、その子孫が伝承したらしいが、これも詳しい記録はないようだ。戦国期には武田氏の信濃攻略の拠点の一つとなり、武田氏滅亡後は徳川氏に対抗した小田原の後北条氏が占拠したという。

さて歴史館脇が大手口で、その脇には横堀跡が残る。そこから小高い丘陵地を巻くように帯曲輪が配置されている。山頂部が一郭で、土塁に囲まれ北西と東に虎口がある。北西側は食い違い虎口である。一郭には清光を祀る八幡神社があったという。
一郭を囲むように東側に二郭、西側に三郭が同心円状に配されて、土塁と空堀が巡らされている。二・三郭の南側の虎口は、段差を設けた食い違い虎口となっている。
二・三郭の北側には帯曲輪を挟んで四郭が、北側には五郭が配されている。四郭、五郭は小規模で四郭は低い土塁に囲まれているが、より小規模な五郭には土塁は見られない。
四郭・五郭は臨時的な郭で、後世追加されたものと考えられているという。さらに三郭の西側の比較的急な斜面を下ると搦手口となっている。

城山全体の規模は小さいものの、段差を利用して帯曲輪を配し、土塁や空堀で守りを固め、虎口にも段差を利用するなどして防御力を高めている様子がよくわかる。
なお、二郭からは調査で建物の柱穴が見つかったとされるが、配列等が明確でないために復元はされていないようだ。谷戸城についてはわかっていないことも多く、今後も調査を進めていくようだ。
(平成26年12月訪問 #95)

参考文献:谷戸城パンフレット、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ

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