歴史の勉強

信濃国  高梨氏館

    

南側堀

大手門跡

建物群

信州北部、中野市にある高梨氏館跡は、東西約120m、南北約100mで四方に堀と土塁が巡らされた単郭の居館跡で、北信濃最大の中世期の典型的な方形館である。
平安時代末期に信濃源氏の有力であった高梨氏により、造られたと推測されているが確証はない。もともと高梨氏は小布施付近が本貫の地であったが、永正年間(1504~20年)に中野に移ったともされている。
いずれにせよ中野に入った高梨氏はこの地に館を営み、当主であった高梨政頼は上杉・武田両氏の狭間で、背後にそびえる鴨ヶ嶽城を詰めの城として防御態勢を整えようとした。

しかし政頼は武田氏に追われ飯山に退いた。政頼は上杉謙信に救援を求め、以後上杉氏の家臣として組み込まれていった。
中野地方は武田氏、次いで織田氏が領有したが、本能寺の変で織田氏の勢力が信濃から去ると、再び上杉領となり、当時の当主高梨頼親は中野に戻った。
しかし慶長3年(1598年)、景勝の代に上杉家は会津に移封され、家臣化された高梨氏も会津に移り、高梨氏館は廃された。

現在、館跡は公園として整備され、駐車場もある。方形の館跡を幅約10m、高さは約3mの薬研堀が囲み、南側の大手口のほか西側と東側にも虎口がある。それぞれに橋が架かり、東側は土橋である。
館を囲む土塁は幅約10m、高さ1m~3mであり、館跡内には建物群の礎石のほか庭園跡が復元されている。建物は門跡1、礎石建物5、掘立柱建物7が確認されているようだ。
また庭園跡は東西約8m、南北約6mの規模で、枯山水様式であったと推定されている。これらから高梨氏はかなり力のあった豪族であったと考えられている。
(平成27年10月訪問 #137)

参考文献:歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ

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