歴史の勉強

上野国  七日市陣屋

    

御殿正面玄関

黒門

前田利家の五男利孝は、利家の死後に母の芳春院とともに人質として江戸に送られた。芳春院すなわちまつで、利家亡きあとに徳川家康が前田家謀反の疑いを抱き、それを晴らすための人質であった。
利家の跡を継いだ利長には謀反を起こす気など毛頭なく、また謀反を起こせるような器量はなかったから、家康の言いがかりであったが、このときに人質を出したことで、前田家は後に江戸期最大の大名となり、加賀百万石を得られたのだった。
人質となった利孝は江戸で育ち、大坂の陣で活躍をして、1万石を与えられ大名に取り立てられた。その地が上野七日市であり、以後十一代にわたり封を継いで明治に至った。
七日市は現在の行政区画では群馬県富岡市で、加賀藩の参勤交代の中継地点として重要な役割を果たしたようだが、無城の大名だから政庁は陣屋であった。

陣屋は100m四方の敷地で、東と北に水堀、西と南は空堀を巡らし、1.5mの土塁の上にさらに1.8mの塀が建てられた。
御殿の建物は天保年間に焼失したが再建され、現在は正面玄関や書院の一部が残っている。御殿はもともと東向きであったものが、昭和初期に北向きに改められたという。
また民家に移築されていた黒門が、再移築されて残るほか、櫓台や土塁も一部残っている。現在は富岡高校の敷地内となっているが、見学はできる。
(平成23年5月訪問 #93)

参考文献:歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ

城郭訪問録の表紙に戻る
歴史の勉強
Last modified -