歴史の勉強

遠江国  黒田代官屋敷

    

長屋門

北側の堀

静岡県菊川市下平川、平成の市町村合併前は静岡県小笠町下川平といったが、ここにある黒田家住宅は江戸時代の代官陣屋で、長屋門・屋敷・水堀・土塁などの遺構が残り、現在も生活の場になっている。
屋敷地の周囲を水堀が囲み、その東側には舟着き場がある。さすが舟着き場は江戸時代のままではないが、当時は水利も悪く増水時などには舟を使っていたようである。
屋敷は南側と北側に分れ、北側には主屋、東西二棟の蔵が建っていて庭園もあるらしいが、現在でも住居として使用しているために立入禁止となっている。蔵の上部は北側の堀越しに道路から眺めることができる。

主屋の南の前庭を挟んで長屋門が建っている。この門は18世紀中葉の建設といわれ、国指定の重要文化財。その長屋門前が南側の曲輪で、現在は広場になっていて、その一角に黒田家代官屋敷資料館がある。
北側と南側は堀で区切られていたらしいが、長屋門のあるところが後に埋め立てられたと考えられている。長屋門の西側から堀が巡っていて、南側~西~北~東と周囲を一周している。
長屋門は寄棟造茅葺で、桁行68尺(20.6m)の大規模なものであり、2千石の格式を有する門である。また資料館には黒田家の威光を伝える品々が展示されている。

遠江横須賀城主本多利長の兄本多日向守助久が、正保2年(1645年)閏2月に利長から4560石を分与されて、旗本になりこの地を治めた。
黒田家はもともと在地領主としてこの地で武威を張っていて、助久の代官に就任して、屋敷を代官所にしたのが、黒田代官屋敷であるという。
黒田家が最初にこの地に館を営んだのは永禄年間(1558~70年)のことといわれ、今川氏、徳川氏に仕え、家康の関東移封の際もこの地に留まったらしい。
したがって黒田代官屋敷は戦国期からの在地豪族の館を踏襲しているとされ、その遺構はたいへん貴重なものである。
(平成20年10月訪問 #19)

参考文献:城郭みどころ事典・東国編(東京堂出版)、黒田代官屋敷資料館パンフレット、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ

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