歴史の勉強

下野国  唐沢山城

    

大手枡形

大炊の井戸

四つ目堀と神橋

二の丸北門

南城石垣

お花畑土塁

栃木県佐野市に位置する唐沢山城は、関東七名城のひとつに数えられ、上杉謙信が攻めあぐねた城としても有名である。標高247mの唐沢山頂に本丸を置いた連郭式山城で、栃木県立自然公園の一部となっている。
この城の築城は、延長5年(927年)に藤原秀郷が下野国押領使として下向し、そのときに城を築いたのがはじまりとされるが、この話にはまったく根拠がなく、伝承の域をでない。本当だとすれば、平安時代の築城だ。
戦国時代にこの城を治めた佐野氏の祖が藤原秀郷であったことから、この話がうまれたらしい。はっきりしているのは、室町時代中期には城があり、佐野氏が城主であったことだけである。

戦国時代のこの地は、後北条氏の勢力が及ぶ最北端であり、越後から関東入りする上杉氏の最前線でもあった。そのなかで佐野氏のような弱小な勢力は、家を保全していくことに常に悩み、その時々の最強勢力へ与することで生き抜くしか道はなかった。
このような中で、永禄元年(1558年)に上杉謙信の関東進出が行われ、佐野氏の当主豊綱は、上杉方となって戦い戦死した。
跡を継いだのは豊綱の弟の昌綱であった。昌綱は上杉に与したために永禄2年(1559年)に北条氏康の攻撃を受けた。

このときは北条軍を撃退したが、その後昌綱は上杉氏から離反し北条氏康についた。以後、唐沢山城は上杉謙信の攻撃を執拗に受ける。
永禄3年(1560年)を皮切りに、永禄5年、6年、7年と連続して攻撃を受け、ついに降伏開城して昌綱は再び上杉に与することとなり、唐沢山城は上杉氏の関東での重要拠点となった。
唐沢山城は今度は逆に後北条氏から攻撃を受けることになり、永禄10年(1567年)には城を包囲され、猛攻撃を受けたが、からくも守りきった。天正2年(1574年)に昌綱は没し、宗綱が家督を継いだ。

天正6年(1578年)に謙信が急逝し、後楯を失った宗綱は常陸の佐竹氏を頼って後北条氏に対抗した。天正9年(1581年)には、北条氏邦に唐沢山城を囲まれたが、佐竹氏の援軍を得て撃退している。
翌天正10年ごろから宗綱は、接する足利城主の長尾顕長と所領をめぐって争いとなり、天正13年(1585年)に、長尾顕長と戦い須花坂において戦死した。

宗綱戦死の混乱の中、後北条氏の動きは素早く、唐沢山城に兵を向けて城を制圧し、北条氏康の六男氏忠を佐野氏を継がせた。これにより唐沢山城は後北条氏の支城となった。
一方、北条氏忠の佐野氏の継承に反対して、昌綱の弟天徳寺宗衍(了伯)は佐野家を出奔し、織田信長に与し、後に秀吉に属した。天正18年(1590年)に後北条氏が滅亡すると、氏忠は高野山に上り、唐沢山城は宗衍に与えらた。

宗衍は佐野房綱と名乗って、佐野家の家督を継いだ。房綱の跡は養子信吉が継ぎ、関ヶ原役では家康について本領安堵される。しかし関東で外様大名が生き延びることは許されなかった。
慶長7年(1602年)に唐沢山から麓の春日岡への移城命令が下された。謙信や氏康が攻めあぐねた唐沢山のような堅固な山城に、外様大名を置いておくわけにはいかなかったのだ。
新たな城は佐野城と命名され、5年の年月を費やして慶長12年(1607年)に完成し、信吉は唐沢山城を廃して佐野城に移る。しかしそのわずか7年後の慶長19年(1614年)に信吉は改易となり城地を没収され、佐野城は廃城になってしまう。

唐沢山城は旧佐野市と旧田沼町の境界にある。城跡の下を北関東自動車道唐沢山城跡トンネルが貫いている。北関東道佐野田沼ICからは県道115号、東北道佐野藤岡ICからは県道141号を走ることになる。
この2つの県道は城跡の駐車場前で繋がっている。駐車場のすぐ先が城跡への入口でもある大手枡形であるが、この石垣は明治以降に改修されたものである。
この枡形のところに物見櫓があったという天狗岩がある。そして直径7.5m、深さは9mといわれる大炊の井戸から四つ目堀と続き、堀を越えると三の丸となる。

唐沢山城はこの先、堀切や土塁、石垣など遺構として非常によく残っているが、石垣に関しては一部後世に積み直されたり改修されたりもしているようだ。
二の丸の虎口の石垣などは改修された可能性も考えられるし、一方で本丸の高石垣は隅部に算木積みが認められ、織豊期の特徴を確認できるといわれている。
現在本丸跡には明治16年に建てられた唐沢山神社があり、藤原秀郷が祀られている。また本丸の南側には南城とよばれる曲輪があり、見事な石垣が残っている。
本丸の東側には、薬草を栽培したお花畑(長門丸)や宝蔵のあった金の丸、さらに茶の湯にも使われたという車井戸がある。
唐沢山城は規模からいっても関東有数の山城であり、それがために太平の世になると真っ先に廃されてしまったのだろう。
(平成22年5月訪問 #108)

参考文献:よみがえる日本の城(学研)、城郭みどころ事典・東国編(東京堂出版)、東京近郊の名城・古城(PHP研究所)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ

城郭訪問録の表紙に戻る
歴史の勉強
Last modified -