歴史の勉強

伊豆国  狩野城

    

東郭から主郭部への堀切

中郭と南郭(右奥の小高い所)

地元住民が中心となって結成されている狩野城の会により、非常によく整備された山城で、国道414線トレースの途中に立ち寄った。
国道414号線が136号線と重複する伊豆市にあり、下田に向う国道が修善寺を経てしばらく行った柿木橋から右に入って500mほどのところに位置する。
付近は本柿木農業公園となっていて、駐車場やトイレ、立派な説明板もあり、駐車場から遊歩道で20分ほど登ると主郭に達する。
説明板には、狩野氏が伊豆の名族であり、江戸期の画壇の雄狩野派とも伊豆狩野氏がルーツであることなどが書かれている。
狩野派が伊豆の狩野氏からでているとは知らなかった。勉強にはなったが、やたら狩野派のことが強調されすぎているような気がしないではない。

いずれにせよ狩野氏は伊豆の名族であったことは間違いなく、この城は狩野茂光が築いたとされる。
狩野茂光は、頼朝の挙兵に従って石橋山の合戦で戦死した人物で、その一族は鎌倉幕府の有力御家人であった。
しかし狩野城は狩野氏の拠点とされたかどうかは不明で、その後狩野氏自体の動静もわからなくなってしまう。
一方で、狩野城が戦国期には城としての機能を持っていたことは、これもまた事実であった。
戦国期の城主は狩野道一であったといわれ、北条早雲の伊豆侵攻に抵抗していたが、明応7年(1498年)にその軍門に降り、後北条氏の家臣に組み入れられた。
狩野城も引き続き維持されたようだが、後北条氏の滅亡とともに廃城となったようだ。

というようなことが説明板に書かれていて、そこから遊歩道を昇る。さしてきつくはなく、ハイキング気分で軽装でも問題ない。
要所には案内板もあって迷うこともない。やがて出丸と書かれた場所に達する。虎口らしき雰囲気も残り、その先で堀切を下って登り、ここからが城の中枢部になる。
ここか大きな堀切を下って堀を回り込んだあとに登りになって東郭、さらに堀切下って登ると主郭部となる。
東郭には土塁もはっきりと残っていいる。堀切には橋がなかったのだろう。いずれも昇り降りや迂回を伴い防御力としている。

この城には本郭と記されている案内が建っているが、本郭として使うにはものすごく狭く、実際は二の郭であったようだ。
堀切を挟んだ中郭と記された部分の方がよほど広く、ここがおそらく主郭だったろう。
中郭には廃屋のようなお堂が残り、その南側が小高くなっている。ここが南郭で、櫓台との説もある。南郭に昇ると中郭全体が見渡せる。
主郭部の西側には二重の堀切を挟んで西郭がある。西郭の先には大きな堀切が残る。
主郭上から見ると堀切の深さは相当なものだ。堀切の底に階段で降り、再び駐車場に戻る。思っていたより見ごたえのある城で、得した気分で下田に向った。
(平成25年9月訪問 #90)

参考文献:歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ

城郭訪問録の表紙に戻る
歴史の勉強
Last modified -