歴史の勉強

三河国  足助城

    

大手門

南の丸

西の丸

本丸

紅葉で名高い香嵐渓の近くにある標高301mの真弓山には、戦国時代に足助鈴木家の本城があったと考えられている。
物部氏の正統とされる穂積氏を本姓とする藤白鈴木氏の支流が、足助鈴木氏だそうで、その祖鈴木重善が鎌倉時代から南北朝時代にかけて、この地に土着したとされる。
この付近は戦国期は今川氏の支配域の最西端にあたり、三河の松平氏や尾張織田氏との間での抗争地域であった。鈴木氏はそれら有力な勢力のはざまで、中小勢力の常としてつかず離れずの政策をとり、独立を保っていたと考えられる。
鈴木氏はその後、松平氏に服属して家臣化し、家康の関東移封の際にも従ったために、真弓山の城は廃城になった。なお鈴木氏は、その後家康のもとを去り、浪人したともいわれる。

典型的なバラマキ政策である竹下内閣の「ふるさと創生基金」1億円に、愛知県の事業を組み合わせて、当時の加茂郡足助町(現在は合併で豊田市に編入)は、城の復元をすることにした。
その時には別の山に城を築こうとしたらしいが、瀬史跡指定の問題や規模間など種々の理由から、戦国時代の城である真弓山城を発掘復元することにしたらしい。
その際に天守閣など作らずに、発掘調査によりなるべく戦国時代のままに復元するというコンセプトで事業を行い、現在は「城址公園足助城」として整備公開されている。

問題点として周知不足、知名度不足が挙げられているそうだが、足助の市街地に近いもののひっそりと佇むような感じの公園で、逆にゆっくりと自分のペースで見学できるのはありがたいが、もう少し人がいてもいいのではないかと思う。
もっとの足助自体があまり交通の便がいいとは言えないのだが、施設維持の面からも工夫がほしいところではあると思う。

入場料は300円也で、冠木門をくぐるといきなり南の丸が目に飛び込んでくるという嬉しい設計。その手前には堀切があり、南の丸下を迂回して進むと井戸跡を経て西の丸に至る。ここには発掘調査の結果2棟以上の建物があったことが判明しており、物見台と櫓が復元されている。
本丸下を経て、南の丸に入るのだが、南の丸の虎口は跳ね上げ式の戸がついている。南の丸には厨や物見台が復元されており、堀切を木橋で渡って本丸に入る。本丸には高櫓と長屋が復元されており、これも発掘調査による復元だそうだ。
全体としてはコンパクトだが、その割に戦国時代の雰囲気を十分に味わえるようになっており、岡崎城、長篠城、名古屋城など付近の名城とセットで訪れてもいい城だ。 (平成25年8月訪問 #121)

参考文献:足助城パンフレット、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ関連ホームページ

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