歴史の勉強

武蔵国  赤塚城

    

堀の跡である溜池

広場になっている本丸跡

赤塚城は首都高速が新大宮バイパスに合流する南西側にある赤塚溜池公園にある。都営地下鉄三田線の終点西高島平駅を出て歩道橋を渡り、新大宮バイパスを10分ほど南に歩いた、郷土資料館のある裏側一帯が赤塚城址である。
資料館の前に溜池があり、釣りをしている人もいるが、この溜池が赤塚城の堀であった。堀の南側から台地が立ち上がっていて、台地を登っていくと現在は広場となっている本丸跡に出る。広場の片隅には城址の碑が建つ。また、本丸周辺にはわずかながら空堀の跡も残っている。
足利八代将軍義政のときに、関東では鎌倉公方、古河公方、関東管領上杉氏の三大勢力が相争う享徳の乱が起きた。康正2年(1456年)にその享徳の乱に乗じて、関東の名族千葉氏でも内乱が起きる。千葉一族の馬加康胤が挙兵して千葉宗家を乗っ取り、宗家の実胤・自胤兄弟を追った。
実胤は石浜城(荒川区)に拠り、自胤は赤塚城に入った。その後、赤塚千葉氏は後北条氏の家臣となり、自胤ののち盛胤-良胤と続いたが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐によって後北条氏が滅び、赤塚千葉氏も所領を没収されて滅亡、赤塚城も廃城となった。
(平成21年1月訪問 #31)

参考文献:東京近郊の名城・古城(PHP研究所)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ

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