歴史の勉強

九州の地方行政機関であった大宰府の次官相当の官名が大宰少弐であり、少弐氏の姓はそこからきている。もともとは中央官が赴任したが、鎌倉時代になると武蔵国から武藤氏が赴任して、代々世襲するようになった。
この武藤氏は藤原秀郷流であり、少弐氏の初代となったのは建久2年(1196年)に大宰少弐に補せられた武藤小次郎資頼である。
以来、九州きっての名族としての地位を誇るが、室町時代に入ると次第に力を失い、防長の大内氏や豊後の大友氏に脅かされ、やがて大宰府を追われる。少弐氏自身は戦国大名化に失敗するが名族意識は高く、また名族であるが故に周辺の国人から象徴として支持されもした。
戦国期には宗氏、次いで龍造寺氏の庇護のもとに命脈を保つが、やがて龍造寺氏との関係も悪化して孤立し、十五代冬尚は永禄2年(1559年)に戦闘に破れて自害し、歴史の幕を閉じた。

(一)武藤氏から少弐氏へ

(二)南北朝期の少弐氏

(三)諸勢力との抗争と少弐氏の衰退

(四)少弐氏の滅亡

少弐氏歴代当主

少弐氏の守護について

少弐氏略系図(丸数字は少弐宗家歴代)

参考文献:九州の名族興亡史(新人物往来社)、室町幕府守護職家事典(新人物往来社)、守護・戦国大名事典(東京堂出版)、史伝鍋島直茂(学研M文庫)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ

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