歴史の勉強

赤松氏は村上源氏の末裔と称し、本貫であった佐用荘の赤松村を姓とした。赤松姓を初めて名乗ったのは赤松則村(円心)で、鎌倉時代末期にその円心による六波羅攻めをもって歴史の表舞台に躍り出る。
円心は後醍醐帝による皇建武政権の樹立に功があり、播磨守護となるが、その後は足利尊氏に与し、室町幕府初期には一族で播磨、摂津、備前、美作の4ヶ国の守護職を得た。
さらに円心の子の則祐は侍所所司に任じられ、室町幕府では四職家の一角を占めることとなった。しかし嘉吉元年(1441年)に時の当主満祐が六代将軍足利義教を弑し、幕府に討伐されてしまう。
その後は、再興に成功して一時播磨をはじめ3ヶ国の守護に任じられるが、浦上氏や別所氏の下剋上や一族の内紛などから勢力が衰え、織田信長の家臣に組み込まれた。

(一)赤松氏の系譜


(二)円心の活躍


(三)尊氏とともに


(四)南北朝時代


(五)満祐と将軍


(六)嘉吉の乱


(七)赤松再興


(八)赤松氏の滅亡


赤松氏略系図

参考文献:室町幕府守護職家事典(新人物往来社)、近畿の名族興亡史(新人物往来社)、守護・戦国大名事典(東京堂出版)、赤松一族の盛衰(神戸新聞総合出版センター)、播磨赤松一族(新人物往来社)、赤松五代(ミネルヴァ出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ

武家・大名録の表紙に戻る
歴史の勉強
Last modified -