歴史の勉強

丹羽長秀、ついで堀秀政・秀治父子の与力大名となった村上氏は出自などわかっていない。戦国期の村上氏は信濃村上氏や来島村上氏、能島村上氏などが有名であるが、それらとの繋がりも見出せない。
村上義明が関ヶ原ののち村上藩祖となったが、改易され近世大名として一代で廃絶してしまった。

大名騒動録・村上義明のページ

村上義明 むらかみよしあき
?〜1623(?〜元和9)、幼名政之助、従五位下、周防守
越後村上12万石

戸田氏繁の子であり、もともと丹羽長秀の家臣であった。村上義清の養子となり家督を継ぐ。忠勝ともいう。
丹羽氏ついで堀氏の与力大名となり加賀能見郡で6万6千石を領し、四国征伐、九州征伐、小田原攻めなどに参陣、文禄・慶長の役では肥前名護屋に滞陣した。また伏見城の普請も分担した。
慶長3年(1598年)堀氏の越後移封にともない本庄9万石を領し、本庄を村上と改めた。関ヶ原では堀氏の与力として、前田利長に属して津川口から会津上杉領に攻め込む予定であったが、三成の挙兵により会津討伐は中止、越後の諸将は帰国して上杉の一揆に備えた。
上杉家は旧領の越後で領民をそそのかして、一揆を起こしたが平定され、戦後は所領安堵となった。
慶長8年(1603年)3万石を加増され12万石となる。元和4年(1618年)家中不取締を理由に改易され、丹波篠山に配流となった。元和9年9月26日配流先の篠山で死去。

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