歴史の勉強
(鵜殿)

松平信忠の三男康孝が三河国碧海郡西浅井郷を与えられて、鵜殿(うどの)松平家を興した。しかし康孝は無嗣のまま天文11年(1542年)に没したために鵜殿松平家は絶家となった。
「寛政重修諸家譜」では鵜殿松平家を認めていないが、「改正三河後風土記」には「鵜殿の松平十郎三男康孝…」と記されていることから、鵜殿松平家は創設されていたとされる。

松平康孝 まつだいらやすたか
?~1542(?~寛永3)

松平宗家六代信忠の三男として生まれ、通称は十郎三郎、初名を清忠という。三河国碧海郡西浅井郷を与えられて西浅井城を築き本拠としていたが、のちに三木、須美の采地も与えられた。
天文11年3月18日に無嗣のまま死去したために鵜殿松平家は絶家となったが、その所領は兄の三木松平家の信孝が押領してしまった。

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