歴史の勉強
(石川)

形原松平家四代家広の二男家房は別家を興し、形原松平家の別流となった。家房は甥の形原家の家信が幼少であったために、軍代をつとめて戦功を挙げ、家康の信頼も篤かったという。
家房の嫡子正重が母方の姓石川を名乗ったことで、石川(いしかわ)松平家と呼ばれた。正重は3百石で大番として家康に仕え、大坂の陣で戦功を挙げ寛永3年(1626年)に没した。跡を正長が襲ったが正保3年(1646年)に死去、無嗣であったために絶家となった。

松平正重 まつだいらまさしげ
?~1626(?~寛永3)、幼名勘助

家房の嫡男として生まれ、大番として家康に仕え3百石を与えられた。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣、翌元治元年(1615年)の大坂夏の陣で戦功を挙げた。寛永3年1月13日没。

松平正長 まつだいらまさなが
?~1646(?~正保3)、幼名勘助

先代正重の嫡子として生まれ、寛永3年(1626年)に父正重の死去により家督を継いだ。小姓組をつとめ後に大番に転じ、2百石を加増され5百石となったが、正保3年1月8日に無嗣のまま死去したために石川松平家は二代で絶家となった。

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