歴史の勉強
丹羽長祥 にわながあきら
幼名:鍋太郎
従五位下、従四位下、大炊頭、左京大夫、加賀守
安永9年(1780年)10月22日生、寛政8年(1796年)5月13日襲封、文化10年(1813年)8月25日没
陸奥二本松10万石

先代長貴の長男で、寛政8年(1796年)に父長貴の死去により家督を相続した。
相続後の基本方針は、先代長貴の藩政改革の継続であった。改革には引続き家老成田頼綏があたり、農村振興、文武奨励、特産品の生産などが行なわれ、この時に二本松万古焼、川崎の紙、平石の畳、大平串柿などの特産品が生まれた。また、養蚕業のほか馬市や糸市なども開かれるようになった。
しかし、災害や天災が相次ぎ、幕命による治水工事手伝いもあり藩財政の逼迫は変わらなかった。
文化10年8月25日病気のため34歳で、二本松において死去した。

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