歴史の勉強
蜂須賀宗鎮 はちすかむねしげ
父:松平頼煕、母:佐野氏、幼名:松之助、正室:蜂須賀氏(先代宗英養女)
従四位下、阿波守、侍従
享保6年(1721年)8月8日生、元文4年(1739年)12月襲封、宝永9年(1780年)8月27日没
阿波徳島25万6940石

先代藩主宗英には男子がなく、讃岐高松藩主松平(水戸)頼恒の弟頼珍を養子として迎え、元文4年(1739年)12月に宗英が老齢を理由に隠居し、家督を継ぎ宗鎮と名を改めた。
寛延3年(1750年)7月の日光東照宮修造普請手伝いは、24万貫という莫大な費用がかかり、藩財政は更に悪化した。
最初六代藩主宗員の二男重矩を嗣子としたが宝暦元年(1751年)5月重矩死去、次に五代藩主綱矩の第5子隆寿の長子重隆を嗣子としたが病気により廃嫡、仕方なく高松藩から弟の至央を嗣子として迎えた。

これにより宝暦4年(1754年)5月に隠居し至央に家督を譲るが、至央は在任60日ほどで病死した。蜂須賀家は断絶の危機にさらされたが、家老賀島政良の奔走で、出羽秋田新田藩の佐竹義道の第4子政胤を、至央の末期養子とした。
病気がちで、隠居後26年目の安永9年(1780年)8月27日60歳で死去した。

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