歴史の勉強
蜂須賀宗英 はちすかむねてる
父:蜂須賀隆喜、母:加藤氏、幼名:勘次郎、正室:なし
従四位下、阿波守、侍従
貞享元年(1684年)4月9日生、享保20年(1735年)6月襲封、寛保3年(1743年)2月晦日没
阿波徳島25万6940石

三代藩主蜂須賀光隆の弟隆喜の第3子で、元禄13年(1700年)にやはり光隆の弟の隆重の養子となり、徳島藩の家老となる。宝永6年(1709年)に家老を辞し、その後先代宗員の養子となり、享保20年(1735年)6月に宗員死去を受け家督を継いだ。
元文元年に大井川堤防大修理を命ぜられて、莫大な出費となり、藩財政の窮乏に拍車をかけた。さらに元文3年には水害の被害もあり、藩士の俸禄の二分の一を借り上げた。
元文3年(1738年)に伊勢桑名藩松平(奥平)忠雅の二男を養子として宗純と名乗らせたが、宗純は翌元文4年2月に死去。同年4月み讃岐高松藩主松平(水戸)頼恒の弟頼珍を養子とし、同年12月に老齢を理由に隠居した。
寛保3年(1743年)2月晦日に60歳で江戸で没した。

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