歴史の勉強
蜂須賀宗員 はちすかむねかず
父:蜂須賀綱矩、母:安西氏、幼名:正員、正室:なし
従四位下、伯耆守、淡路守
宝永6年(1709年)正月1日生、享保13年(1728年)正月襲封、享保20年(1735年)6月7日没
阿波徳島25万6940石

宗員は先代綱矩の第6子として江戸に生まれ、富田藩主蜂須賀隆長の養子となり富田藩第三代藩主となったが、宗家の世子修理大夫隆寿が享保10年(1725年)5月に死去したために、宗家の世子となり、享保13年(1728年)に綱矩が隠居するとその封を継いだ。

宗員の治世は短かったが、藩財政悪化の対策として享保の藍政改革が実施された。
阿波の特産であった藍玉は吉野川流域で産し、従来間接税により課税していたが、藩は葉藍の取引に直接介入すべく享保18年(1733年)に藍玉御用場を新設した。
これに対して藍作地帯の農民は城下に強訴、激しい抵抗を示したために、改革は頓挫し藩の威信は大きく揺らいだ。
このころから宗員は病を得、享保20年(1735年)6月7日に27歳の若さで江戸で没した。

蜂須賀氏の表紙に戻る
歴史の勉強
Last modified -