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| 蜂須賀綱通 はちすかつなみち | ||||
| 父:蜂須賀光隆、母:金、幼名:千松丸、正室:松(榊原政房女) 従四位下、阿波守、侍従 明暦2年(1656年)2月18日生、寛文6年(1666年)5月襲封、延宝6年(1678年)7月晦日没 阿波徳島25万6940石 | ||||
| 綱通は先代藩主光隆の嫡子として、明暦2年(1656年)に江戸で生まれた。寛文6年(1666年)に父光隆が死去し、家督を継いだが、わずか11歳であったために、叔父の蜂須賀隆重(光隆弟)が後見した。 襲封の翌年の寛文7年には蜂須賀隆矩と隆喜(いずれも光隆弟)を仕置家老とし、また淡路の仕置には稲田稙儀を置いた。 綱通が襲封したころには、すでに藩財政は悪化の兆しが見られはじめており、綱通の代には蜂須賀家記に「国用不足、減諸士俸禄」と、歳入不足で藩士の俸禄を減じたとされている。 綱通は延宝6年(1678年)に病に罹り、同年7月晦日徳島で没した。 |
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