歴史の勉強


支藩・富田藩主歴代
蜂須賀隆重 はちすかたかしげ
従五位下、飛騨守
寛永11年(1634年)8月18日生、延宝6年(1678年)10月襲封、宝永4年(1707年)8月24日没
阿波富田5万石

徳島藩三代蜂須賀忠英の二男で、幕府の詰衆に任じられた。五代藩主綱矩は延宝6年(1678年)に新田分5万石を隆重に分与し、隆重は富田(現在の県庁)に屋敷を置いたので、以後富田藩と呼ばれる。
藩領は阿波国内に2万石、淡路国内に3万石と分かれていた。宝永4年(1707年)8月24日に74歳で死去した。

蜂須賀隆長 はちすかたかなが
従五位下、飛騨守
延宝2年(1674年)4月13日生、宝永4年(1707年)8月襲封、正徳4年(1714年)9月19日没
阿波富田5万石

富田藩二代藩主となる隆長は、徳島藩三代蜂須賀忠英の第5子隆喜の嫡子として延宝2年(1674年)に生まれ、富田藩先代藩主で叔父にあたる隆重の養子となった。
幕府の詰衆に列せられたが、詳しいことは不明である。正徳4年(1714年)9月19日に41歳で死去した。

蜂須賀正員 はちすかまさかず
宝永6年(1709年)正月1日生、正徳4年(1714年)11月襲封、享保20年(1735年)6月7日没
阿波富田5万石

正員は徳島藩五代藩主蜂須賀綱矩の第6子として江戸に生まれ、富田藩二代藩主隆長の養子となり、隆長の死去により富田藩第三代藩主となったが、宗家の世子修理大夫隆寿が享保10年(1725年)5月に死去したために、宗家の世子となり、享保13年(1728年)に綱矩が隠居するとその封を継ぎ将軍吉宗の偏諱を受け宗員と名を改めた。
これにより富田藩の領地は本藩に収公され、富田藩は廃藩となった。

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