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| 関ヶ原後の阿波、淡路25万石の国持大名となった蜂須賀氏の実質的な祖は小六正勝であろう。正勝は川並衆と呼ばれる木曽川近くの土豪であった蜂須賀党の頭領となり、初期は斎藤道三に属していた。 斎藤家の内紛で道三が斃れると秀吉に与した。もっともこの頃までは主従関係ではなく、契約関係にあって協力者と言った方が近い。 だが時代は急速に変化して正勝は秀吉ち主従の関係となり、その股肱となり参謀となって常に帷幄にあった。その関係は天正14年(1586年)5月に正勝が死去するまで続いた。 ここでは正勝が秀吉のもとに属するまでを前半とし、秀吉に属して以後を後半として正勝の動きを整理してみたい。 前半:秀吉のもとに属するまでの正勝 後半:秀吉に属して以後の正勝 本稿は主に蜂須賀小六伝(戸部新十郎・PHP文庫)を参考にしています。 |
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