歴史の勉強

久野藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
松下之綱 天正18.10~慶長3.2
1590~1598
1.6
松下重綱 慶長3.2~慶長8
1598~1603
1.6 常陸小張へ
北条氏重 元和5~寛永17.9
1619~1640
1.0 下野冨田より
下総関宿へ

久野は久能ともいい、現在の袋井市久能、東名袋井ICの近くである。今川時代から久能氏が久能城主であり、久能氏は家康の家臣になったが、家康の関東移封に伴い関東に去った。
その跡の秀吉は松下之綱を封じた。これより前、之綱は遠江国頭陀寺城主で、今川氏の家臣飯尾氏に仕えていたが、そのころに諸国を流浪していた秀吉が寄食した。久野への入封もこの縁である。
慶長3年(1598年)に之綱が没すると重綱が相続し、関ヶ原では遠江に領地があったために、必然的に東軍に属し、岐阜城攻撃、本戦に参陣した。
戦後所領は安堵されたが、慶長8年(1603年)幕府の許可を得ずに居城の石垣を修築したことをとがめられ常陸小張に転封されたが、減封されていないところから、東海道筋に豊臣恩顧の大名が居ることを嫌った側面が強いと考えられる。

これにより一時的に廃藩となるが、元和5年(1619年)に北条氏重が1万石で入封する。氏重の北条氏の祖は北条綱成といい、小田原の後北条氏二代氏綱の娘婿になった人物であった。
もともとは駿河の今川氏の家臣で福島氏を名乗っていたが、のちに北条氏を頼って一族となり、氏繁-氏勝と継いで、氏勝の時に秀吉の小田原征伐に遭い、家康の降伏勧告に応じて家康の家臣となった。その二代後が氏重で、下野冨田から移り、寛永17年(1640年)9月に下総関宿2万2千石に加増転封され、久野藩は廃藩となった。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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