歴史の勉強

浦戸藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
長宗我部盛親 慶長4.5~慶長5.11
1599~1600
22.0 改易

土佐の戦国大名長宗我部元親は、やがて四国一円に覇を唱えたが、豊臣秀吉の前に降伏し、阿波、讃岐、伊予の3ヶ国を没収され、故地の土佐一国のみ与えられた。
元親は浦戸城を本拠としたが慶長4年(1599年)死去し、子の盛親が継いだ。しかし翌慶長5年(1600年)の関ヶ原役の際に西軍に与したために所領を没収された。
長宗我部盛親は西軍に積極的に加担したわけではなく、家康の会津征伐に遅ればせながら加わるために兵を率いて大坂に上陸したところ、すでに石田三成が東国への通行を禁止して西軍の戦力を徴募しており、やむなく西軍に与したのだった。
関ヶ原役でも西軍陣営にあったものの戦闘には参加せずに、西軍の敗北が決定的になると戦場から逸早く離脱した。
したがって本来なら改易処分は苛酷にすぎるのだが、戦後の対応のまずさもあって家康の不興を買い、領国を没収された。
土佐一国は山内一豊に与えられ、一豊は城地が狭く発展を望めない浦戸を捨て大高坂城(高知城)を築城して移ったために浦戸藩は廃藩となった。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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