歴史の勉強

高岡藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
井上政重 寛永17.6~万治3.7
1640~1660
1.3  新封
井上政清 万治3.7~延宝3.5
1660~1675
1.1  
井上政蔽 延宝3.8~享保元.3
1675~1716
1.0  
井上政鄰 享保元.4~享保16.8
1716~1731
1.0  
井上正森 享保16.8~宝暦10.12
1731~1760
1.0  
井上正国 宝暦10.12~寛政3.3
1760~1791
1.0  
井上正紀 寛政3.3~文化3.10
1791~1806
1.0  
井上正瀧 文化3.12~天保12.11
1806~1841
1.0  
井上正域 天保12.11~弘化3.9
1841~1846
1.0  
井上正和 弘化3.11~慶応3.3
1846~1867
1.0  
井上正順 慶応3.3~
1867~
1.0  

井上清秀の四男政重は二代将軍秀忠、次いで三代将軍家光に仕え、寛永9年(1632年)大目付となった。
寛永15年(1638年)には島原の乱の鎮圧に活躍するなど、家光側近としての功を重ね、寛永17年(1640年)6千石が加増され諸侯に列した。
なお、この時点では高岡陣屋はまだ未設置で、定府大名であった。寛永20年(1643年)にはさらに3千石が加増され1万3千石となった。
なお、のちに二代政清相続の際に弟政則に千石、同政明に5百石を分知、三代政蔽相続の際に弟正式に千5百石を分知して、高岡藩領は1万石となり幕末まで続く。

十代正和の時の文久2年(1862年)に江戸藩邸に藩校学習館を開設、次の十一代正順の時に戊辰戦争となる。
幕末期の藩論は勤皇に統一され新政府に恭順の意を示した。新政府軍から房総の警備を命じられる。慶応4年(1868年)には常陸の幕軍鎮圧の為に出兵を命じられた。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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