歴史の勉強

佐野藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
佐野信吉 慶長7~慶長19.7
1602~1614
3.9  改易
堀田正高 貞享元.10~元禄11.3
1684~1698
1.0 近江堅田へ
堀田正敦 文政9.10~天保3.1
1826~1832
1.3 近江堅田より
堀田正衡 天保3.1~安政元.10
1832~1854
1.6  
堀田正頌 安政元.11~
1854~
1.6  

戦国大名であった唐沢山城主佐野房綱は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉から本領を安堵された。
慶長7年(1602年)に養子信吉が家督を継ぎ、信吉は幕府の命によって佐野城の築城を開始した。佐野城は慶長12年(1607年)に完成して信吉は唐沢山城を廃して佐野城に移る。
しかし慶長19年(1614年)に信吉の兄で伊予国宇和島12万石を領していた富田信高が改易されると、連座するかたちで信吉も改易となり、佐野藩は廃藩となり彦根藩(井伊家)領と古河藩(堀田家)領に分割された。

貞享元年(1684年)に大老堀田正俊の三男正高が1万石を分与されて佐野藩を立てたが、元禄11年(1898年)に封地を近江国滋賀、高島両郡に移されて近江堅田に移ったために再び廃藩となる。
文政9年(1826年)に近江堅田から堀田正敦が佐野に戻り、三度佐野藩は立藩される。実際には陣屋は植野においたが伝統により佐野藩と称し、正衡-正頌と継いで明治を迎えた。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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