歴史の勉強

宮川藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
堀田正休 元禄11.3~正徳5.6
1698~1715
1.0 上野吉井より
堀田正朝 正徳5.6~享保4.8
1715~1719
1.0  
堀田正陳 享保4.10~宝暦3.10
1719~1753
1.3  
堀田正邦 宝暦3.11~明和9.6
1753~1772
1.3  
堀田正穀 明和9.7~文化12.2
1772~1815
1.3  
堀田正民 文化12.2~天保9.8
1815~1838
1.3  
堀田正義 天保9.10~天保12.8
1838~1841
1.3  
堀田正誠 天保12.9~文久3.5
1841~1863
1.3  
堀田正養 文久3.7~
1863~
1.3  

宮川藩は元禄11年(1698年)に堀田正休が、上野吉井から近江国甲賀、坂田、蒲生、愛知4郡内に領地を移され、坂田郡宮川に陣屋を構えて成立した藩である。
宮川藩堀田氏は堀田の宗家にあたり、先々代正盛は家光の寵臣として下総佐倉11万石にまで登りつめたが家光に殉死し、二代正信は無断帰国をして除封された。
正信は狂疾とされ、堀田家は正盛の忠義によって家名存続が認められ、正休に上野国吉井でで1万石が与えられ、さらに宮川に移された。
三代正陳は、延享2年(1745年)7月に若年寄、寛延元年(1748年)10月に西の丸若年寄となって近江国野洲郡、滋賀郡内で3千石を加増された。
最後の藩主正養は出羽亀田藩主岩城隆喜の子で堀田家に養子に入り、戊辰戦争では他の近江の小藩同様彦根藩の影響を強く受けて、新政府軍側に立った。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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