歴史の勉強

三上藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
遠藤胤親 元禄11.3~享保18.9
1698~1733
1.0  
遠藤胤将 享保18.9~明和8.4
1733~1771
1.0  
遠藤胤忠 明和8.6~寛政2.2
1771~1790
1.0  
遠藤胤富 寛政2.2~文化8.6
1790~1811
1.0  
遠藤胤統 文化8.6~文久3.10
1811~1863
1.2  
遠藤胤城 文久3.10~明治3.7
1863~1870
1.2 和泉吉見へ

三上藩は元禄11年(1698年)3月に遠藤氏六代の胤親が常陸・下野両国内の1万石を、近江甲賀、野洲、栗太、滋賀の4郡内に移され、野洲郡三上に陣屋を置いたことに始まる。
遠藤氏は桓武平氏千葉氏の出であり、千葉常胤の六男東(とう)胤頼を始祖とする。胤頼の孫胤行は、承久の乱での戦功により美濃国山田荘の地頭となり、その子行氏が美濃に土着した。
戦国時代になると美濃東氏の勢力は衰退して、変わって豪族の遠藤氏の勢力が伸張し、遠藤盛数は東氏の養子となって東の家督と得たが姓は遠藤のままとした。
織豊期から関ヶ原を乗り切り、遠藤氏初代の慶隆は美濃郡上2万7千石の大名となった。

遠藤氏五代の常久は元禄5年(1692年)に、わずか7歳で無嗣のまま死去し、美濃郡上2万7千石は収公されたが、祖先の功により親戚の大垣藩主戸田氏成の養子胤親に遠藤氏の家督を継がせた。
胤親は同年5月に常陸・下野両国内で1万石を与えられ、さらに元禄11年(1698年)近江三上に移った。
譜代の格付けであり、胤将が大番頭・奏者番、胤忠・胤富が大番頭を勤める。胤統は大坂城加番であった天保8年(1837年)に大塩平八郎の乱の鎮圧に活躍、さらに江戸城会計掛を勤め、西の丸造営にも功績があって、2千石の加増を受けた。
戊辰戦争で最後の藩主胤城は、彦根藩が倒幕の立場をとったことで、朝廷に帰順した。明治2年(1869年)6月に三上藩知事となり、翌明治3年7月に和泉日根郡吉見に陣屋を移し、三上藩は廃藩となった。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、新編物語藩史(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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