歴史の勉強

黒石藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
津軽親足 文化6.4~文政8.11
1809~1825
1.0 大名昇格
津軽順徳 文政8.11~天保10.5
1825~1839
1.0 弘前藩11代を継ぐ
津軽承保 天保10.5~嘉永4.9
1839~1851
1.0  
津軽承叙 嘉永4.12~
1851~
1.0  

黒石津軽氏は、明暦2年(1656年)2月に津軽氏四代の信政が11歳で襲封した際に、後見役の叔父信英に5千石を分知したことに始まる。
信英は元和6年(1620年)10月6日、二代信枚の二男として江戸の藩邸で生まれ、兄の三代信義とともに育てられ、やがて幕府に出仕して旗本となった。
信義の死去後、家督を継いだ信政が幼年のために弘前藩領から5千石を分知されて後見となったもので、領地の内訳は黒石に2千石、平内(夏泊半島と平内町域)に千石、上野国大館に2千石であった。

その後宗家の分家筋として信英(のぶふさ)、信敏(のぶとし)、政兕(まさたけ)、寿世(ひさよ)、著高(あきたか)、寧親(やすちか)、典暁(つねとし)と続く。このうち六代寧親は宗家を継いでいる。
八代親足の時の文化6年(1809年)に黒石家出身の宗家藩主寧親の強力な運動によって1万石に高直りして大名に昇格した。
この当時津軽家は蝦夷地の警備を幕府から命じられ、その功績で宗家も10万石に高直りしていたが、黒石家の大名昇格も、黒石家を大名にすれば蝦夷地警備にも役立つと考えられるとの主旨で半ば強引に行なわれた。幕府の加増を受けたわけではなく、宗家から6千石を新たに給与したものであった。

親足は在任16年で隠居し、跡を継いだ順徳は宗家の信順の失政による隠居に伴い宗家11代となった。
黒石藩主三代承保、四代承叙の頃は幕末期であり、宗家と行動を一にした。

参考文献:奥羽津軽一族(新人物往来社)、日本歴史叢書・弘前藩(吉川弘文館)、新編物語藩史(新人物往来社)、東北の名族興亡史(新人物往来社)、江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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