歴史の勉強

大垣新田(野村)藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
戸田氏成 元禄元.7~享保4.5
1688~1719
1.0 元禄元(1688)新封
戸田氏房 享保4.6~宝暦9.10
1719~1759
1.0  
戸田氏之 宝暦9.12~明和8.1
1759~1771
1.0  
戸田氏養 明和8.3~天明5.4
1771~1785
1.0  
戸田氏興 天明5.6~寛政10.1
1785~1798
1.0  
戸田氏宥 寛政10.3~文政9.6
1798~1826
1.0  
戸田氏綏 文政9.6~安政2.5
1826~1855
1.0  
戸田氏良 安政2.5~
1855~
1.3 明治2(1869)より野村藩

大垣新田藩は美濃大垣藩の支藩であり、その祖は大垣藩戸田氏初代氏鉄の二男戸田氏経が、明暦元年(1655年)に氏鉄から新田4千石を分知されたことに始まる。氏経はすでに三河国渥美郡畑ヶ村に2千4百石を領しており、合わせて6千2百石となった。
しかしこの石高では新田の治水工事が困難であり、大野郡内の10ヶ村との交換を願い出て許された。
寛文12年(1664年)に氏経が隠居して氏利が家督を相続し、元禄元年(1688年)には氏成が継いだ。氏成は本藩四代氏定の弟で、支藩相続の際に新田3千石の分知を受けて万石に達し大名に列した。
陣屋は三河畑ヶ村に置かれており、そのため畑ヶ村藩とも呼ばれていたが、氏良の時の明治元年(1868年)に大垣藩から大野郡野村において3千石の分与を受け1万3千石となる。翌明治2年に版籍奉還し、そののち野村に陣屋を移して野村藩を立藩したが、廃藩置県により廃され、野村藩は短命に終わった。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、新編物語藩史(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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