歴史の勉強

上有知藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
金森長近 慶長5.10~慶長13.8
1600~1608
6.1  
金森長光 慶長13.8~慶長16.10
1608~1611
2.3 無嗣断絶

「こうずち」と読み、岐阜県美濃市小倉山に城があった。この地は豊臣時代には佐藤方政が2万5千石で領していたが、関ヶ原役で西軍に与したために戦後所領を没収され、飛騨高山藩主金森長近に恩賞として与えられた。
長近は飛騨一国3万8千石を領していたが、上有知、美濃関、河内金田で2万3千石の加増となり、都合6万1千余石となる。
同時に飛騨の支配は養子の可重に委ねて、自身は上有知に居所を移した。上有知では尾崎丸山の地を選んで居館の整備と城下町の町割りに着手した。
慶長13年(1608年)に長近が死去すると、長近生前の方針通りに飛騨の所領は養子可重が、上有知・関・金田の所領は実子長光が継いだ。
しかし長光は慶長16年(1611年)にわずか6歳で死去し、当然に嗣子はなく領地は全て収公された。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、新編物語藩史(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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