歴史の勉強

揖斐藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
西尾光教 慶長5.11~元和元.11
1600~1615
2.5 美濃曾根より
西尾嘉教 元和元.11~元和9.4
1615~1623
2.5 無嗣断絶

美濃国安八郡曾根城主西尾光教は、関ヶ原役の際には東軍に与して、美濃岐阜城攻略戦、大垣城攻撃に功があり、戦後1万石の加増を受け、揖斐3万石に転封となった。
揖斐入封後、光教は外孫氏教に5千石を分与、揖斐藩は2万5千石となる。光教は大坂両陣にも参陣し、元和元年(1615年)に家康の駿府帰陣に従い駿府に入り、その地で73歳の生涯を閉じた。
光教の跡を養子嘉教が継いだが、嘉教は元和9年(1623年)に嗣子なく死去したために、断絶した。嘉教の死を前に養子縁組を進めたが、舅内藤政長が反対してお家騒動になり、嗣子を決められないまま嘉教が死去したともいい、また嘉教の死は乱心のうえの狂死であったともいう。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、新編物語藩史(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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