歴史の勉強

伊勢崎藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
稲垣長茂 慶長6.10〜慶長17.10
1601〜1612
1.0  
稲垣重綱 慶長17.10〜元和2.8
1612〜1616
1.0 越後藤井へ
酒井忠世 元和2.8〜元和3.7
1616〜1617
5.2 上野前橋へ
酒井忠能 寛永14.1〜寛文2.6
1637〜1662
2.2 信濃小諸へ
酒井忠寛 延宝9.2〜元禄16.11
1681〜1703
2.0  
酒井忠告 元禄17.2〜宝暦13.6
1704〜1763
2.0  
酒井忠温 宝暦13.6〜天明7.3
1763〜1787
2.0  
酒井忠哲 天明7.3〜文化2.7
1787〜1805
2.0  
酒井忠寧 文化2.7〜文化14.8
1805〜1817
2.0  
酒井忠良 文化14.10〜天保2.5
1817〜1831
2.0  
酒井忠恒 天保2.5〜嘉永4.4
1831〜1851
2.0  
酒井忠強 嘉永4.4〜慶応4.6
1851〜1868
2.0  
酒井忠彰 慶応4.6〜
1868〜
2.0  

稲垣長茂は三河国出身ではじめ今川氏に属したが、永禄8年(1565年)に家康に仕え天正18年(1590年)に下野国足利、上野国山田、勢多3郡で3千石を知行した。
関ヶ原役の論功で慶長6年(1601年)に上野国佐波郡で1万石を得て、伊勢崎藩を立藩した。慶長17年(1612年)に長茂は死去し重綱が継いだ。重綱は大坂の陣で功を挙げて1万石を加増され、元和2年(1616年)に越後国藤井に転封となった。
代って上野国那波で2万石を得ていた秀忠の側近で信任厚い酒井忠世が、大坂の陣の論功で3万2千石を加増されて5万2千石となり伊勢崎に入った。
このとき、まだ忠世は酒井家の家督を継いでおらず部屋住みであった。翌元和3年(1617年)7月に父重忠の死去により忠世は家督を継いで前橋藩主となり、伊勢崎藩は廃藩となった。

前橋藩主となった忠世は寛永13年(1636年)3月に死去し、嫡男忠行が家督を継いだ。寛永13年(1636年)11月に忠行が死去すると、二男忠能が遺領のうち上野国那波、佐位両郡と武蔵国榛沢郡の合せて2万2千5百石を継ぎ、伊勢崎に陣屋を置いて伊勢崎藩が再興された。
忠能は寛永20年(1643年)に家綱付きとなり三の丸奏者番を勤め、寛文2年(1662年)6月に信濃国佐久、小県両郡で7千5百石を加増され都合3万石となり小諸に移封となった。これにより再び伊勢崎藩は廃藩となった。

一方、忠能の兄忠清は宗家を継いで下馬将軍と呼ばれるほど権勢を誇ったが、四代将軍家綱死去後に失脚し、延宝9年(1681年)2月に隠居した。
隠居の際に二男忠寛が2万石を分与されて分家し、伊勢崎藩を三度立藩した。酒井氏は忠寛以後九代に渡り続き、明治まで在封した。
三代忠温は財政窮乏に対するために藩政改革を行い、以後暫くは忠温の政策が藩政の基本となった。
戊辰戦争で八代忠強は官軍側に立ち金千両と米5百俵を献納し、沼田藩とともに越後に出兵して幕末期を乗り切った。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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