歴史の勉強

柴山(松尾)藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
太田資美 明治2.1~
1869~
5.3  遠江掛川から

十五代将軍慶喜は慶応3年(1867年)10月に大政奉還して隠退し、慶応4年(1686年)徳川家の十六代当主となった家達は駿河・遠江両国70万石の大名となり駿府藩を立藩した。
このために駿河・遠江両国の大名は領地替えとなり、遠江掛川5万石の太田資美は上総国武射・山辺両郡内に移され、仮藩庁を武射郡芝山村観音寺に置き、ここに柴山藩が成立した。
転封にあたって新政府から、3年間に渡り現米千石と一時金1万5千両が下賜された。藩政の基礎を固める傍ら新藩庁を建設し、明治3年(1870年)11月に完成をみたので移転し、翌明治4年1月に松尾藩と改称した。
新城下には藩校教養館、病院好生所、物産会所なども設けられていたが、1年を経ずして同年7月の廃藩置県を迎えた。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
江戸三百藩の表紙に戻る
歴史の勉強

Last modified -