歴史の勉強

徳美藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
伊丹康勝 寛永10.2~承応2.6
1633~1653
1.2 新封
伊丹勝長 承応2.閏6~寛文2.3
1616~1662
1.0 分知
伊丹勝政 寛文2.6~元禄4.7
1662~1691
1.0  
伊丹勝守 元禄4.9~元禄11.9
1691~1698
1.0 狂疾により自害、所領没収

江戸初期の幕臣伊丹康勝は将軍秀忠に近侍したのち、家光にも仕え、その行政手腕を評価されて下総国相馬郡に9千石の知行を得た。
寛文10年2月康勝は甲府城番を命じられ、下総の領地を甲斐山梨郡内に移され、同時に3千石の加増を受けて山梨郡十組に陣屋を構えた。十組は徳美と称されここに徳美藩が成立した。
康勝はのちに勘定奉行兼帯となり、さらに佐渡支配及び金山奉行になったために、用務繁多により甲府勤番を免ぜられた。
康勝は承応2年に死去し、長子勝長が襲封したが、この時に弟勝重に2千6百石余りを分知して1万石となる。勝長は寛文2年に駿府代官であった一色直正に刺殺された。
勝長の跡を勝政、勝守と継ぐが勝守は発狂して厠で自殺し、領地は没収され徳美藩は廃藩となった。
各藩主の徳美藩で事績はほとんどわかっていない。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、新編物語藩史(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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